「行かなきゃならない……いや、行きたいんだろう?」

ルグィンの声はたしかに分かりにくいけれど、優しい。
低く穏やかなその声は、ナナセの胸のうちまでじんわりと染み込んでいく。
そして、ふたりで空を見上げながらナナセはぼろぼろと心のうちをこぼしてゆく。

「うん。行きたい……ふたりに、会いたい。言いたいことがたくさんあるの。」

いつも変わらない淡い瞳のその奥の確かな決意に、ルグィンは頷き返す。

「なら、早く治して、早く魔術を使えるようになれよ。そうしたら、ここを離れて二人のところへ行けるだろ。
……その時は……付いていってやるから。」

ルグィンの口に乗せられた言葉に、ナナセは言葉を失う。秋の夜風がさらさらとまわりの木々を揺らす音も、今は聞こえない。

「……え?」

夜闇でほとんど見えないのにルグィンの気配のする右隣を見てしまう。面倒くさそうに、彼は口を開いた。

「だからお前と俺で、ふたりを助けに行くんだ。
無事なら無事でお前は二人に言いたいことがあるんだろ。」

ぶっきらぼうに言い直されたその言葉は、ナナセには優しさに見えた。そんなことは初めてで、素直に受けとる術が分からない。

「嬉しいけど……いいの?
お仕事とかないの?
暮らしはいいの?」

気持ちが思わず先走って、深く考える前にルグィンに尋ねてしまった。それに気付いたナナセは、ぱっと口を押さえた。

「俺は捨てられた実験動物だから。日向に当たるようないい仕事には就けないさ。

今は軍や町に金で雇われる仕事をしてるだけ、この町には未練はないな。」

どこか突っぱねるような、さっきよりも冷ややかな声。
ざぁ、と流れる風が今はうるさい。

「そっか。」

それしか言えなかったナナセは励ましもできなくて情けなくて俯いた。

重い空気を変えるように、ルグィンは俯いた彼女の手を取った。驚いた彼女の息がルグィンにも聞こえた。突然の口を開いたルグィンの声は穏やかで優しい。

「困ったことがあったら、助けてやる。
──見かけによらずお前、弱いから、さ。」

今、自分の中にずっと隠している私を見透かされているようで。

不思議と嫌な気持ちはない。心地よくて、胸の中に広がるのは嬉しいような優しい気持ち。繋がれた左手がどうしてかあたたかかくて、胸がいっぱいになった。

夜闇に手を繋いで言葉を交わすふたりの姿は、外の小さな人影まで見ているような人にはよく見えていた。
それは例えば金獅子の美少女であったり。獣の力を人の身で発揮できる彼女は、二人から遠く玄関扉もたれて二人の背中を見ていた。くすりと笑って、足音をたてずに屋敷の中へと消える。

「あのルグィンも大人になったなぁ……。」

彼女は獣の耳で一部始終を聞いていた。自分の仕事へと戻っていく。
この光景をまだ見ていた人がいることを、彼らは知らない。