数日が過ぎて、また城を抜け出そうかと画策し始めた頃。
ナナセは今日の分の勉強も終えて、暇をもてあましていた。
城の一人で歩くには広すぎる大理石の廊下を硬い靴の音を響かせながら歩く。
今日もまた昼間に父に母のことを聞いたけれど、するりとかわされて、他愛もない話をして諦めて引き下がってきた。
それが悔しくて廊下を一人で歩いていたが、通り過ぎた赤い木の板に金色の装飾のある扉から声が漏れてきた。
「──ナナセにあのことを教えないと──」
父の声を瞬時に聞き分け、声に含まれる焦りも気付く。
いつもと声のトーンが違うのだ。
聞こえてきた自分の名に、靴の音をたてないように扉に近寄り、扉に耳をつける。
「しかし……まだ早いのでは?」
この声は父の執事のライだと、ナナセはすぐに分かった。
ナナセは自分の手伝いも、父の執事たちも覚えている。
いつも昼間見る従者の中にも彼はいる。
「言った方がいい!!」
「まだ早いです!!」
カイの声が荒くなり、ライの制止もきつくなる。
分厚い扉を声が通ってしまうほどに、声が大きくなり始める。
主語も分からない扉の向こうの言い争いに、ナナセは耐えられなくなった。
重い扉を音をたてて開けて、ナナセはその部屋に飛び込んだ。
彼女の視線の先で、父カイと執事ライが机を挟んで言い争っていたが、彼女の乱入に当然中断する。
「ナナセ……。」
父はいつも左目を銀髪を下ろして見えないようにしている。
そのせいもあり不思議な雰囲気を醸し出している。
穏やかな父しか見たことがなかったナナセにとって、右目しか見えない父がこんなに大きく瞳を見開いたところを見ることは八年間で初めてだった。
数十秒の静寂の後にカイが立ち上がり、入り口に突っ立っているナナセに近付いていく。
カイがナナセの目の前に手を差し出した。
「おいで。」
カイはいつもの悲しそうな顔をしていた。
ナナセの手を引いて、カイの執務室から出て行く。
「とうさん…?」
ナナセの声は不安と後悔が入り混じっていた。カイがナナセにだけ聞こえるように呟いた。
「昔話をしようか。」
部屋を振り返ったナナセは、ライの苦々しげな顔をほんの一瞬、閉じられる扉の隙間から見た。
***
二人が出て行ったカイの執務室にはまだライが握った拳を隠して座っている。
二人が挟んでいた机に置かれた魔法光はぼんやりと部屋を照らし、明暗を際立たせている。
明かりに向かい合う男の影は長い。
机の上に置いてけぼりの国王のカップ。
ライがそっと触れれば、紅茶の綺麗な色が一瞬暗く揺らいで、また戻る。
それを眺めてまた溜め息を落とす。
嘘みたいに艶のある彼の髪は、魔法で出来た橙の明かりに照らされる。
眩しさから逃れるように、外の夜闇に視線を移す。
瞳の赤色は夜闇に沈み、金と黒の髪は月明かりを小さくはね返す。
夜闇にもう溶け込んで見えない、フェルノール帝国とルイ王国を分かつ高い山脈を見つめて、ライは呟く。
「王よ……その時はもう差し迫っているようですよ。」
ナナセは今日の分の勉強も終えて、暇をもてあましていた。
城の一人で歩くには広すぎる大理石の廊下を硬い靴の音を響かせながら歩く。
今日もまた昼間に父に母のことを聞いたけれど、するりとかわされて、他愛もない話をして諦めて引き下がってきた。
それが悔しくて廊下を一人で歩いていたが、通り過ぎた赤い木の板に金色の装飾のある扉から声が漏れてきた。
「──ナナセにあのことを教えないと──」
父の声を瞬時に聞き分け、声に含まれる焦りも気付く。
いつもと声のトーンが違うのだ。
聞こえてきた自分の名に、靴の音をたてないように扉に近寄り、扉に耳をつける。
「しかし……まだ早いのでは?」
この声は父の執事のライだと、ナナセはすぐに分かった。
ナナセは自分の手伝いも、父の執事たちも覚えている。
いつも昼間見る従者の中にも彼はいる。
「言った方がいい!!」
「まだ早いです!!」
カイの声が荒くなり、ライの制止もきつくなる。
分厚い扉を声が通ってしまうほどに、声が大きくなり始める。
主語も分からない扉の向こうの言い争いに、ナナセは耐えられなくなった。
重い扉を音をたてて開けて、ナナセはその部屋に飛び込んだ。
彼女の視線の先で、父カイと執事ライが机を挟んで言い争っていたが、彼女の乱入に当然中断する。
「ナナセ……。」
父はいつも左目を銀髪を下ろして見えないようにしている。
そのせいもあり不思議な雰囲気を醸し出している。
穏やかな父しか見たことがなかったナナセにとって、右目しか見えない父がこんなに大きく瞳を見開いたところを見ることは八年間で初めてだった。
数十秒の静寂の後にカイが立ち上がり、入り口に突っ立っているナナセに近付いていく。
カイがナナセの目の前に手を差し出した。
「おいで。」
カイはいつもの悲しそうな顔をしていた。
ナナセの手を引いて、カイの執務室から出て行く。
「とうさん…?」
ナナセの声は不安と後悔が入り混じっていた。カイがナナセにだけ聞こえるように呟いた。
「昔話をしようか。」
部屋を振り返ったナナセは、ライの苦々しげな顔をほんの一瞬、閉じられる扉の隙間から見た。
***
二人が出て行ったカイの執務室にはまだライが握った拳を隠して座っている。
二人が挟んでいた机に置かれた魔法光はぼんやりと部屋を照らし、明暗を際立たせている。
明かりに向かい合う男の影は長い。
机の上に置いてけぼりの国王のカップ。
ライがそっと触れれば、紅茶の綺麗な色が一瞬暗く揺らいで、また戻る。
それを眺めてまた溜め息を落とす。
嘘みたいに艶のある彼の髪は、魔法で出来た橙の明かりに照らされる。
眩しさから逃れるように、外の夜闇に視線を移す。
瞳の赤色は夜闇に沈み、金と黒の髪は月明かりを小さくはね返す。
夜闇にもう溶け込んで見えない、フェルノール帝国とルイ王国を分かつ高い山脈を見つめて、ライは呟く。
「王よ……その時はもう差し迫っているようですよ。」

