空色の瞳にキスを。

 時間は過ぎる。先視の少女は時を渡る。

 幼いナナセを抱えた彼は、村とは反対に山を登り木々に隠れるように建つ家に入った。この時の人ではないアズキも彼らを追いかけた。

 数日に渡って幼い少女は熱を出した。薬草の倉庫と呼べそうなほどの豊富な薬草を、少年は手際よく彼女へと塗り込み、時に飲ませてゆく。

 アズキが数日、といっても大事な場面ばかりを繋ぎあわせた途中の欠けた世界の記憶にいる限りでは、彼は少し変わっているようだった。

 見たことのない薄紫の髪に、少し深い紫の瞳の彼は、同じ年くらいの少年だった。ひとりでこの家に住んでいるようで、親はどうしたのだろうかとアズキがあたりを見回してもそれらしき手紙の類いなどはなかった。

 一人立ちしているからか、彼は薬草に詳しいようだった。瓶詰めにされたり、干したままの草がそのままに散らかっている辺りはなんだか普通の男の子のようで、気付いたアズキはトーヤを思い出して笑った。

「──おきたかな?」

 ナナセが起きたらしく、そんな声がした。

「だいじょうぶ?」

「……、」

 水面に浮かぶ金魚みたいにぱくぱくと口を開くが音にならない。その様子に少年は穏やかに笑みを浮かべた。

「あぁ、まだ声嗄れているのかな。無理しなくていいよ。」

 僕は治療魔術は使えないからね、と言いながら少女の喉をさする。

「ここは……?」

 それでも絞り出した掠れ声には焦りが混じっている。その声音が変わっていなくて、アズキはこんな時だというのに少し口元が緩んだ。

「ここは山奥の僕の家。君がいることは、誰も知らないよ。……だいじょうぶだから。」

 明らかにほっとした幼い少女に、少年が水を手渡した。起き上がれない彼女を支えて、水を飲ませるその仕草は声と同じで優しいものだ。

「君はきれいな銀の髪だね。王家の方かな?」

 しばらくして部屋に落ちた控えめな声は、少女に向けられたものだ。

「……う、」

 声に詰まった銀髪の主は、咄嗟に白いシーツを掴んだ。

「誰にも言わないよ。」

 少年の手が少女の額を静かに撫でた。ふらふら揺れる空色の瞳がゆっくり定まって、やがて少年を見上げた。

「……そう、だよ。」

 怯えたような頷き方に肩を揺らして笑った彼は、シーツの上に優しく手を乗せた。

「家出かな?」

「ち……ちがう、の。」

 ぐらりと揺らいだ空色の瞳は、泣きそうな弱さをちらと見せた。それを目の前で見た少年は、一瞬驚いて、それからそっと目を伏せた。長い前髪が陰が差した虹色の瞳を上手く隠す。

「そう。ここには誰も来ないから、ゆっくりおやすみ。」

 少年が少女の額を優しく撫でる。ナナセの重たげな瞼はゆっくりと落ちた。力が抜けた少女を彼は寝かせて、しばらくしてまた薬草棚をまさぐり始めた。アズキから見える背中は、トーヤよりも細く薄かった。

「喉の腫れは……と。」

 肩よりいくらか短い紫苑が揺れる。引き出しの中の瓶ががちゃがちゃと擦れた音を立てた。危なっかしい少年の背中に、アズキはふいに思い出した。

 リョウオウでアズキがナナセの正体を知ったあの時に、ナナセは何と言っていたか。

「──正体を明かしたのは、」

 ──『最初の町で、一人だけに……ね。』

 机の上に開かれた日記帳の日付は、八年前のものだった。