右手を胸元に添えて、祈るように二言三言口を小さく動かす。

「お願い、飛んで!」


その場を動く気配のない獅子の姿に、呪文というにはあまりにも稚拙な言葉を乗せて、小さな白い紙切れを投げ込む。
振り下ろされた手から離れたそれは、残像を残して矢のような速度で飛んでいく。

白の中心に書かれた赤い文字が溶けるように滲んで崩れ、紙は空中で橙色の魔術の焔に変わりスズランに迫る。

それを目の前のスズランは魔装銃で相殺する。

「…っ!」

小さな爆風に先見の少女が瞬きをしたら、次の瞬間には目の前にいたはずの彼女は薄く空気に溶けていた。


─流れ込んできたのは、一瞬先の。


「後ろっ!」

飛び退くもアズキの速さはスズランには勝てず、首筋に銃を突きつけられる。

「…っ!」

やっぱり模擬戦闘といえども銃は怖いもので、視界に映る黒光りする武器に生唾を飲み込む。

その表情を間近で見たスズランは、ぽん、と背中を押して拘束を解く。

「はい、今日も私の勝ちね。」

明るく笑うと、スズランの声にアズキがゆっくり笑みを見せる。

「スズラン速いよー。」

そんな声に、スズランはからからと笑って肩を揺らす。

「あら。それは勿論化物だから速いし、強いわよ。

…あ、別に後悔してないからそんな顔しないの。
意外にこれも便利なんだから。」
そう強気に笑って金のライオンの耳を触る。
彼女の耳がふわりとした生き物独特の見目そのままで。

─魔術の禁忌は命を踏みにじることだなんて、魔術師の卵だって知っている。

訓練場の隅でルグィンの隣に立ち、3人の魔術師の会話が聞こえた銀の少女の心に浮かんだ魔術の倫理。

その魔術のことを考えた少女の背中を、薄ら寒い何かが撫でた。



「トーヤは力に任せ過ぎて攻撃が単調。

それに一点しか見えていないわ。ちゃんと他の場所にも気を配って。」

口をへの時に曲げて、けれどしっかりとトーヤは頷く。


「アズキは呪符に乗せる魔力が弱いわ。

先を視ることが出来るなら、それを最大限に活用して。
暴走はしないように、調節は今まで通りすること。」

ズボンをきゅっと握り締めたアズキも小さな声で返事をする。
そこまで厳しい目で言ったスズランはそこで表情を緩める。

「分かった?」

その声にふたりが頷くと、獅子は破顔して手を打ち鳴らす。


「さぁ、じゃあ今日はおしまい!」

その言葉を聞いたアズキはひらり身を翻し、ナナセの元へと駆けていく。