「おかしいかな。他に使い道がないんだよね」
「……、」
そろりと振り返る。彪くんは不思議な言葉の欠片を残し、リビングへ向かっていた。
他に使い道がないって……。
世の中、特別なことがない限りは自分のためだけにお金を使いたい人が大半だと思うのだけれど、彼はちがうらしい。
髪を乾かしてと頼まれたとき、『追加料金が発生します』なんて言わなければよかった。
まさか笑顔で了承されるとは思っていなかったから、引っ込みがつかなくなって今日まできてしまった。
そんな金銭感覚だと知っていたら、最初に決めた通り、追加注文は問答無用で断ったのに。
私は彪くんに雇ってもらっている使用人でもなければ、彪くんを雇っているご主人でもない。
胸の芯がきゅっと、細く頑丈な1本の糸で締め付けられるような感覚に苦しくなる。
ああ、どうしたものか。
この状況も、彪くんへの対応も。
泳がせた視線の先で、食器棚の奥に潜む箱が目に留まる。〈ZInnIA〉でもらった記念品。それに触れようとした手を寸でのところで引っ込めた。
柚に投げかけられた言葉の数々が、無数の小さな棘を持って胸の奥にはびこる。
ひと目見て好きだと感じた人に出会ったのは、記念品を手渡されたとき。記念品をもらえたのは、私を〈ZInnIA〉に連れて行ってくれた柚のおかげ。
――美空、さん……。
大好きな人が遠くへ行くことになっても、涙を流さずに済む方法を考えてしまう私は、おかしいのだろうか。
だって心のままに身をゆだねていたら、余計に悲しくなってしまう。出逢えたことも、言葉を交わしたことも、好きという想いを抱いたことも。寂しさと悲しさを涙に変える中で、全部なかったことにできたらって願ってしまうかもしれない。
願ってしまうんだ、私は。
そんなのは嫌だから……きっと私はまた柚に『理解し難い』って言われてしまうと思う。



