ここはすでに神の領域。
 たとえどんなに強い力の持ち主であろうと、普通の人間がやすやすと侵入できる場所ではない。
 頭でそう理解しているはずの月夜は、半信半疑に目を瞠る。
 なぜ自分がそこまでしているのかはわからない。
 けれど無意識下に何かが働きかけるのだ。

「ギャアア!」

 不意に頭の後ろできこえる断末魔。
 そして次々と響く生々しい肉の裂ける音。
 バシャバシャと飛び散る水音に、その惨状が想像を掻き立てた。
 月夜の期待は別のものにとって変わった。
 いま、自分を狙う獣を容赦なく屠るのは何者か?
 敵か、それとも味方か?
 もしも他の獣を始末し、月夜を我が物にしようとする獣の仕業だとしたら…。
 絶望の気配が、すぐそこまで忍び寄っていた。

「グオオオオーッ!」

 いったいどれだけの獣が血を流したのだろう。
 月夜を囲むように、鮮血のリングが出来あがっていた。

「……っ……」

 急に辺りが静まり返る。
 先刻まであれだけ唸り声をあげていた獣の気配がぱったりと途絶えた。
 不気味なほど、なにひとつの音もなかった。
 ドサッ!
 不意に月夜のすぐ傍で音がした。
 動かない身体をさらに硬直させ、その音に視線を近づける。
 目の端に、何かが映り込んだ。
 それは全身をかえり血に染めた、鬼だった。
 身体のあちらこちらに黒と赤の紋様が刻まれ、まるで古代の遺物でもあるような、人の形をした魔物。
 けれど月夜が想像したおぞましいものとはだいぶ違っていた。
 それが纏うのは、禍々しくもなければ醜悪でもない。
 ただただ静かで、獣の血を浴びてなお、穢れを感じさせない強靱な存在感。
 その手にしているのが獣の首であっても、月夜は目を逸らすことが出来なかった。