雪月繚乱〜少年博士と醜悪な魔物〜

 その昔、十六夜と二人で走り回った後宮の庭を、見つからぬよう身を隠しながら横切り、切り立った崖の秘密の階段を駆けのぼる。
 もしこんなところを見つかれば、叱られるどころの話ではないのだが、誰にも知られずに霊山へ向かうには、ここからの方が都合がよかった。
 しばらくしてようやく階を昇りきった月夜は、そこから見おろせる美しく形作られた宮と、遥か向こうの大海へと、流れる河のように広がる町に背を向けて、まっすぐに霊山を見上げた。

「叉邏朱(さらす)」

 月夜が、懐から出した一枚の薄紙にすばやく名を印し、それを額にかざして息を吹きかけると、薄紙はみるみるうちに大きな鳥へと姿を変えた。
 もともと精神体でしかない式を召喚する為に、術者は無機物を媒介にこれらを物質化させるのだ。
 そうすれば式を操り、移動手段として用いたり、戦闘の道具として使うことができる。
 それが、上級能力者が帝に仕える理由のひとつだ。

 月夜を背負い、高々と舞い上がった叉邏朱は、薄暮の空を霊山まで一直線に飛んだ。
 地面を疾風の如く駆ける馬の背中が小さく見える。
 それよりもずっと早く、たった四半刻で月夜は霊山の麓を見おろしていた。

「しかしずいぶん暗くなってしまったな。これではあの者を見つけるのに手間取る…」

 地上に降りた月夜は、今度は魔の式を召喚しその上に跨がった。
 四つ足の獣は木々の間をすばやく移動し、あっという間に神山との境界線へたどり着く。
 ここで、月夜はあの男に出逢った。
 式を手に入れ、月読になることができた。
 果ては帝の側使になれたのも、そもそもその男が月夜に手を貸したからに他ならない。

――本当なら…。

 月夜は、自分を見つめる式の毛並みをひとなでした。