「違う……誰も、奪われることがなければ、戦う必要などない。きっと、もっと別の――」

 帝釈天は奪うことで、須佐乃袁は与えることで大切なものを守ろうとした。
 もしも互いが与えあえたなら、何も失わずにいられたのか…?
 不意に小さな決意が沸く。
 少し離れた雪に目を向けると、彼もこちらを見ていた。
 傍にいれば、いつも何かを奪われたように思っていた。
 契約したことで、最期にはすべてを奪い尽くされるのだと覚悟した。
 でもそれは、思い違いだったのだ。
 奪ったのは、彼ではなく――。

「……雪。ボクがあなたから奪ったものを……還したい」

 無表情のままの雪がゆっくりと近づいてくる。
 イシャナを挟んで向かい合った月夜に、片膝をつき手を差しのべた。

「こいつの魂を、生かしたいか?」

 月夜はハッとしてイシャナを見た。
 握りしめていた腕から、微かな鼓動を確かに感じる。
 まだ、彼を救うことができるかもしれない。
 顔をあげた月夜は、自分を見下ろす瞳にうなずいた。

「イシャナもきっとそう思っている……どうすればいいか、教えて欲しい」

 力強くそう応えると、伸びてきた雪の腕に引き寄せられ、逞しい胸に包まれた。

「せ、雪…傷が…」

「お前が癒してくれ……」

 そう云ってきつく抱きしめられた瞬間、心臓が激しく脈打ちはじめた。
 全身があわだつような感覚を覚え、手足に震えが走る。
 高揚する気持ちと身体。
 そして浮遊する魂。
 はじめての契りを交わした刻以上に、満ちていく様々な感情が月夜の中を掻き乱す。

――あ…あっ、もう…これ以上はっ…。

 与えることの、ひどく複雑な痛みに、月夜は抗いかける。
 しかし雪が自分に与えたことを思えば、それから逃げるわけにはいかなかった。