少しずつ、声からも力が抜けていくのを感じ、イシャナの命が風前の灯火だと悟る。
 そのまなざしも、すでに月夜を映していないことが見てとれた。
 魔物の手を握りしめ、せめて自分の場所を教えようと力を込めた。

「馬鹿者……名前くらい、いくらでも呼んでやる。だから、死ぬな…」

 目の前がぼやけ、思わず俯いた眼から涙が溢れる。

「泣いて……はる? どない……したんやろか……また……学舎のやつらに脚……引っかけられて……」

 記憶が混濁しはじめたイシャナは、とうとう声まで無くした。
 焦点の合わない瞳で月夜を見上げ、声なき声で必死になにかを伝えようとくちびるを動かす。
 月夜はその口許に耳を近づけた。
 微かに言葉を紡いだ息遣いに、心を激しく揺さぶられた。

『貴方だけは……守りたかったんや』

「イシャナ……イシャナ!」

 胸にすがり、閉じられていくまぶたを懸命に止めようするが、無情にもそれはかなわなかった。
 とめどなく溢れる涙を拭いもせず、月夜は名前を呼び続けた。

『嬉しゅうて…』

 十六夜も云っていた。
 君主というのは、下の者から気安く呼ばれることはない。
 親あるいは姉妹――それさえ、王宮で彼の名を親しく呼ぶ者はなかったのだ。
 その哀しみがいかばかりかを知れば、彼が真実魔物などではなく、ひとりの孤独な人間であると、誰もが理解できただろう。
 姿かたちがどうであろうとも、同じ心を持った人間なのだと…。

「イシャナ!」

 悲痛な叫びが不意に揺らぐ。
 その異変に、一同が動きを止めた。
 結界がその効力を突然に失う。
 半壊した暁天宮のはりつめた空気が、明らかに一掃された。

「須佐乃袁様…」

 それは、ガルナの神の消滅を意味していた――。