叶子は自分のした事が信じられなくて動揺していた。
 あれ程身体を繋ぐ事を拒絶していたのが、今では自分から彼を求めてしまっている。しかも、相手の気持ちも考えず言葉も無く行動に移したのだから、ジャックもかなり驚いている様子だった。

 今朝、いざと言う時に寝てしまい落ち込んでいたのはジャックだけではない。叶子も又ショックを受けていたのだった。
 このまま彼を帰らせてしまえば、もう二度とタイミングを掴めないんじゃないかと言う程、頭が混乱していた。

 玄関の扉が閉まるよりも早く、まるで当たり前かのように二人は口づけを交わす。啄ばむ様な優しいキスではなく、最初から濡れた舌を絡め合わせた。
 叶子はジャックの首に両腕を巻きつけ、ジャックは叶子を強く抱きしめる。狭い玄関の壁に叶子の背中を押し付けると、互いの両手の指を絡めながら歯が当たるほど深く口づけた。
 まるで我慢して来た事を一気に放出するかの様に、激しく互いの口腔内を貪り続ける。
 深く、深く、──時には浅く。叶子を追い詰めるようにして口腔内を駆け回る彼の舌に、身も心も文字通り溶かされていった。

 すぐに熱を帯びた身体は甘い吐息を溢れさせ、もっと、もっと──、と更なる快感を強請る。
 足元には二人のコートと上着がポトリ、ポトリと落ちていく。ジャックの口唇が叶子の首筋を捕らえると、叶子の身体は一気に脱力し壁にもたれたまま、ズズッ、ズズッとその場に崩れ落ちた。
 自分の家の玄関で欲情している事に悪びれる事も無く、ただ、目の前にある“果て”を味わいたくて上気した身体を、心を、彼に預けた。

 玄関に座り込んだ叶子を廊下に移し、ジャックがすぐに覆いかぶさる。背中に感じる床の冷たさなど気にもならなかった。床の冷たさを感じるよりもジャックの肌の暖かさの方が勝っていた。
 もとより、床の冷たさを訴えた事でジャックが動きを止めてしまう事を叶子は恐れていた。このチャンスを逃せば最後、もうジャックとは結ばれないどころか、逢えなくなるのではと思ってしまった。
 ドアを閉める時に見たジャックの表情は、以前、彼に振られた日の事を叶子に思い出させた。
 あの時、ジャックに何も言えなかった事をずっと悔やんで来たからこそ、もう二度と後悔しない為に今の自分の気持ちに正直になる事を選んだのだった。

「……。――っぁ、ん」

 ジャックの暖かい手がスカートを捲り上げ、程よく肉付きのある太腿を這いまわり始めた。と、同時に互いに息が更に上がり、興奮状態にあるのがよく判る。
 乱れた息遣いで何度も、

「カナ、愛してる」

 と、耳元で囁くジャックに応えるように、何度も小さく頷いた。


「……?」

 突然、ジャックの携帯電話が鳴り響き、二人は動きを止めて彼の上着を見つめた。上にいるジャックは、又しても邪魔が入った事に一際大きな溜息を零した。

 どうしていつもいつも上手くいかないのか。やはり二人は結ばれてはいけない運命なのだろうかとさえ勘繰ってしまう。

「――ビルだ……」

 少し考えて、のろのろと上体を起こすとジャケットに手を伸ばした。その電話に出る事を選択したジャックに、叶子の胸は張り裂けそうになった。

 呼吸を整えながら携帯電話を探している彼の横で、露になった胸元を隠すように両手でシャツをかき集める。そして、叶子も上体を起こすと耐え切れずジャックから目を背けた。

「……。」

 そんな叶子の様子を見ながら、ジャックは受話ボタンを押した。

「──もしもし、うん。……悪いけど帰っていいよ」
「──。」

 その言葉を聞いた叶子は驚いた表情でジャックを見つめた。目を丸くしている叶子に対しておどけた表情でウィンクをして見せ、はいはいとビルの文句に耳を傾けていた。

「大丈夫、一人で帰れるから。じゃ」
「ジャック! 俺はそんな事を言ってるんじゃな……!」

 携帯電話から漏れ出す程の大声で喚いているビルが憐れに思う。
 一方的に電話が切られると、そのまま電源も切ってしまった。

 驚きを隠せない表情の叶子の頭を抱き寄せ、額にそっと口づける。

「もう、限界。君を一人にはさせないよ」

 そう言って叶子を軽々と抱き上げると、部屋の中へと進んで行った。