五十鈴さんとて承知のはずだった。渉にとっての誕生日は、つまるところ『寿命が短くなった』と言うのと大差ないこと。


だから、不安があった。こう口にしていいものかと、誕生日を祝うことに対して五十鈴さんは気を使っていたみたいだが――子供の誕生日に何もしないのは、寂しいことではないかとでも改めてしまったんだと思う。


毎年欠かさず、五十鈴さんは誕生日だけは何がなんでも来てくれて祝福してくれる。


その優しさが嬉しくもあり、辛い。何せ、言った当人が僕の寿命が短いことを自覚してしまうのだから、五十鈴さんの中には年々、何とかしなければと僕を助ける方法で頭を悩ませていそうだ。


僕は、別に変わらないまま死ねればいいのに――