どっちもどっちだ、と聞いた男組は思うも、その怒りを煽る言葉まで出すつもりはなかった。
結局のところ、みんな同罪なのだ。
『渉はいい子』、手のかからない子だと、面倒をきちんと見ずとも悪いことはしないと甘く見ていた。
ひょっとしたら、手がかかった二歳あたりから、今の大人しい五歳児になって安心して、一休みだと渉へ費やす時間を減らしていたのかもしれない。
仕事だと、両親はそれも渉のためになると一人にし。
大きくなったと、祖父母は渉が危ないことをしないと独りにした。
誰のせいじゃない、みんなのせいだ。
渉を捨てる事態になるというのに、なぜ、土蔵の鍵を子の手が届く場所に置いてしまったのか。


