突如ぼくの前に現れた若い娘は、名前を清水素子といって、年は、ぼくと同じだった。

5つになる弟がいるという。

彼女が言うには、ここは鹿児島の田舎町で、一家はもとは東京に住んでいたのを、父上の仕事に合わせ移り住んだとのことだった。

一家の主である清水さんは、夫人からすでに聞いていたとおり、鹿屋基地で戦闘機の搭乗員養成に任を得ており、家では滅多に姿を見ることはなかった。

もちろん、時々顔を合わせることはあったが、いかにも厳格を絵に描いたような人物で、ぼくと打ち解けようという気持ちは皆無の様子だったから、ぼくも必要以上に接触することは避けた。

それでも、病院で持て余されていたぼくを引き取ってくれたことへの感謝は尽きることがない。



この家に滞在して数日が経過し、ぼくは庭を散歩できるまでに回復した。

庭は広く、中央に鯉が数匹泳ぐ池があり、石橋が架けてあるのが印象的な日本庭園だった。

見知らぬ人間に部屋をひとつ与えてしまうほどだから、よほどの邸であろうと予測してはいたが、実際に庭や建物をこの目で確かめると、周辺の家々に比べ群を抜いて立派であることがわかった。

ぼくが感嘆の声をあげると、夫人は上品に笑い、

「朝鮮に移住されたご一家のお屋敷を格安で譲り受けただけですから、うちが立派というのとは違いますけれどね」

やんわりと謙遜した。