彼の本棚には、いろんな分野の書籍が並んでいる。
好きに読めばいい、と言ってくれたので暇さえあれば私はその本棚の前に立つ。
ある日一番下の棚の隅にある、分厚い英語の辞書が目に付いた。
なつみ園で天宮先生からもらったもの。
私も同じものを持っていたので、懐かしさからそれを取り出した。
英語の辞書なんて、もう何年も開いてないな、そう思いながらパラパラとめくってゆく。
薄っぺらい紙にびっしりと書かれた小さな文字。
とある箇所で、分厚い辞書がぱっくりと割れるように開く箇所があった。
そこには小さく折りたたんだティッシュペーパー。
なんでこんなところにティッシュ?
栞の代わり?
不思議に思って手に取ると、何かがはらりと床に落ちた。
それは干からびた四葉のクローバー。
もしかして、これって…
指先でつまんだクローバーには、これまた干からびた泥が少しだけれど付いていた。
間違いない…
ずっとずっと前に、私が泰兄にあげたもの。
彼がなつみ園を出て行く日の朝、早起きして探したんだっけ…
前の日からの雨で、庭はぬかるんでいてドロドロ。
泰兄の出発ギリギリでやっと見つけた、この幸せの四葉のクローバー。
嬉しさのあまり彼のもとへ駆けていって、恥じらいもためらいも感じることなくそれを渡した。
その時、私ったら何て言ったのかしら。
頭に血がのぼっていてよく覚えていないのだけれど、きっと赤面するようなセリフを口にしたに違いない。
でもその時泰兄が私に向けてくれた言葉だけは、今でもはっきり覚えている。
「もう木に登るなよ」って。
思わず口元が緩んでしまった。
あの時のクローバーをまだ持っていてくれたなんて。
きっとこれが私たちを再び引き合わせてくれたのかもしれない。
ありがとう、そう呟くと私はそれを元通りに辞書にはさんでおいた。
ベッドの中でそのクローバーの話を泰兄にした。
彼は「しまったな」というような顔をした後、「そんなことあったか?」なんてとぼけたふりをした。
でも、いいの。
彼はそういう性格だから。
忘れたふりをしてていい。
少なくとも、クローバーをああやって辞書に挟んだ時点までは、私のことを覚えてくれてたんだもの。
何よりも、幼かった私の気持ちを彼が心に留め置こうとしてくれたことが嬉しかった。


