「あなたが羨ましい……」


「ん?どうした急に」


「そうやって、幾つになっても夢中になれる想い出があって」


「……!?」


「書いている小説、あなたの想い出なんでしょ?」


 私は驚いた。確かにそうなのだが、妻にはその事を話した記憶が無い。


「読んでいれば、何と無く判るの。勿論、書かれている事の全部がそうじゃないでしょうけれど」


 妻の淳子とは長い付き合いだ。学生時代から数えると、四十年近い。


 恋人同士となったのは、知り合ってからだいぶ経ってからの事だが、熱烈な大恋愛を経てという関係ではない。


 自然。そう、気が付いたら自然とそういう関係になっていた。だからという訳ではないが、これまでずっと、互いに程好い距離感を置いて連れ添って来れたように思う。


 特別相手の感情に深入りするでもなく。


 そういう思いでいたものだから、私の書いたものの中から、妻が私の心情を感じ取った事に少々驚いたのである。


「私に想い出は、あったのかな……」


 どう返答しようか考えていたら、


「なくはないか…でも、あなたほどのものじゃないかな。さて、明日も朝早くからあなた達の食事の支度をしなくちゃならないから、もう寝るわ。お先に」


 と妻は言った。