考えてみれば、親というものはいつの時代も理不尽な存在で、自分の子供の頃を棚に上げて我が子にしたり顔で接するものだ。


 だが、それが自然なのだろう。無理に理解などしたつもりになると、却っておかしな事になるものだ。


 自分の少年時代を振り返ってみると、そんなふうに思えて来る。


 私の家庭はいろいろと複雑だったから、一般の家庭と比べて語ってはいけないのかも知れないが。


 傍から見た私と父との関係は、羨ましがられる位に良き親子関係に見られていた。


『さよなら異邦人』の中で描いている、リュウノスケとサンジュウゴとまではいかないが、割かし近いものがあった。


 けれど、それは表面だけのもので、内実はそんなではなかった。


 何かしらの願望を込めるのが、小説の一面でもある。こうしたい、こうなって欲しい、そういった諸々の感情が物語の端々に表されるもの。


 作り上げる事の出来なかった様々な理想を、文章の中でなら創り上げられる。


 小説の中でなら、作者は幾らでもエゴイストになれるのだ。


 きっとこうだったら、死んだ父ともうまくやって行けたのかなという願望を書いているのだろう。


 その父が死んだ年齢まで、もう直ぐだ。