最近入って来たペルー人は、名前をアントニオ横田といって、日系三世の57歳。
家族全員で日本にやって来た。息子が二人と娘が三人。孫も二人居て、妻を含めて九人の大家族だ。
この会社に派遣される前は、茨城の部品工場で働いていたらしい。日本へ来て既に二年になるから、そこそこ言葉は話せる。
それでもやはり難しい単語が出て来ると会話が止まり、私の片言の英語と彼の拙い日本語が入り混じった会話となる。
仕事は連日残業があり、拘束時間は朝の8時半から夜の8時9時までになる事が多い。
一日の労働が終わると、とても遊びに行くだけの力は残っていない。
他の外国人達も、皆家族を伴って日本に来ていたり、或いは日本人の奥さんを貰っている。
皆、裕福ではない国の国民だ。自分の国に未来を見出せず、何かしらの夢と希望を持って日本という国へやって来た。
しかし、バブルの頃のような景気は望むべくも無く、平成不況の煽りで彼等の職場も激減していた。
そんなご時勢だから、どんなに仕事が辛くても、彼等はじっと耐え忍ぶ。少々条件が悪くても、仕事があるだけでも幸せというもの。
だから、いつ馘首にされるのかという恐怖と戦いながら、一度手にした職場から追い出されないよう頑張るのだ。
家族全員で日本にやって来た。息子が二人と娘が三人。孫も二人居て、妻を含めて九人の大家族だ。
この会社に派遣される前は、茨城の部品工場で働いていたらしい。日本へ来て既に二年になるから、そこそこ言葉は話せる。
それでもやはり難しい単語が出て来ると会話が止まり、私の片言の英語と彼の拙い日本語が入り混じった会話となる。
仕事は連日残業があり、拘束時間は朝の8時半から夜の8時9時までになる事が多い。
一日の労働が終わると、とても遊びに行くだけの力は残っていない。
他の外国人達も、皆家族を伴って日本に来ていたり、或いは日本人の奥さんを貰っている。
皆、裕福ではない国の国民だ。自分の国に未来を見出せず、何かしらの夢と希望を持って日本という国へやって来た。
しかし、バブルの頃のような景気は望むべくも無く、平成不況の煽りで彼等の職場も激減していた。
そんなご時勢だから、どんなに仕事が辛くても、彼等はじっと耐え忍ぶ。少々条件が悪くても、仕事があるだけでも幸せというもの。
だから、いつ馘首にされるのかという恐怖と戦いながら、一度手にした職場から追い出されないよう頑張るのだ。



