紗矢花は珍しく、車の中で一言も話さなかった。

アパートの前に着き、ただ「ありがとう」と目を見ずに言っただけ。


自分も車から下り、紗矢花の背中に声を掛けようとしたとき――斜め向かいのマンションの入口に誰かが現れ、ふと目が合った。

始め、陽介の姿かと思ったが、髪型が全然違う。

陽介よりも短めで、あいつの軽薄なイメージとはかけ離れた、爽やかな優等生という印象だった。


朝陽(あさひ)くん……」


目を見開いた紗矢花が小さくつぶやく。


「久しぶり、紗矢花」

「こんな所でどうしたの?」

「来週からここに住むことになったんだ」

「えっ、うちのアパートにすごく近いね」

「ほんと、俺も陽介から聞くまで、紗矢花がここに住んでるって知らなかった」


陽介とよく似た顔立ちの彼がそう返し、こちらへ視線をずらす。


「遼さん……でしたよね。いつも兄がお世話になっています」


陽介の口から出たとしたら鳥肌の立つような台詞を爽やかに言ってのけ、彼は静かに頭を下げた。


「……いえ、こちらこそ」


陽介の大学の学祭で一度見かけたことがあるから、それで自分の顔と名前を覚えていたのか。


「紗矢花の彼氏?」


朝陽は首を傾げて紗矢花に聞く。