レナの音楽の師匠はマーサだが、僕の音楽の教師はレナになった。

 サックスとか、ピアノはリュウヤさんが時々、簡単な曲を遊びで教えてくれたが、ミュージシャンの名前とか曲目を解説してくれる役目はレナだった。

 彼女から借りたレコードで、『デューク・エリントン』や『バド・パウエル』というジャズプレーヤーを知り、ゴスペルによる肉声の圧倒的な迫力で、黒人音楽の凄さを知った。

 毎日のように彼女と顔を合わし、互いに悪くない感情を抱いていながら、何故かデートらしいデートというのはただの一度も無かった。

 店では、彼女とべったりとはいかないけど、帰る時は必ず送って上げたから、それをデートと呼んで構わないなら、毎晩のようにしてはいたけど。

 アパート迄の10分ばかりの時間、僕は彼女といろんな話をした。

 尤も、殆ど僕の幼い時の出来事や、たわいの無い内容で、彼女は何時も最高の聞き役だった。

 何時から僕はこんなにもお喋りになったのだろうと思える程、自分の人生を語っていた。

 レナと知り合ってまだ何ヶ月も経っていないのに、彼女は、僕以外の人間の中で、一番僕の事を知る人間となった。