夜通し飲み呆けた酔っ払いなんだろうと思い、車二台がやっとすれ違えれる位の道幅を隔て、その男の横を通り過ぎようとした。その時、僕の耳に何とも言えぬ柔らかい音色が聞こえて来た。

 それは男の鼻歌だった。

 でも、それを鼻歌と言うには、余りにも見事な程に美しい音色と旋律を持っていた。

 人間の声とは思えない位それは澄んでいて、肉声というよりも、ストラス何とかという舌を噛みそうな名のバイオリンの音に似ていた。

 無意識のうちに足を止めて、僕は彼の声に聴き入っていた。

 彼は、僕の事など気にも掛けず、気持ち良さそうにハミングを続けている。

 左手にビールの瓶を持ち、右手の指に煙草を挟み、身体をゆったりとスウイングさせているその姿に暫く魅せられていた。

 髪は油っ気が無く、無造作に後ろで束ね、背中の辺り迄垂らしている。顔は汚れ、着ているジャケットやシャツ、ズボンも、もう何ヶ月もクリーニングなどした事が無いと判る位の有様だ。

 何処からどう見ても、酔っ払った浮浪者にしか見えないのに、彼が奏でるハミングと、何とも言えぬ幸福そうな表情のせいで、少しも汚らわしいといった感じがしない。

 数分後、彼との出会いをより劇的にする出来事が起こった。

 晴れてた筈の空が、何時の間にか曇って来て、白い物がチラチラと舞って来たのである。

 最初は小さな粉雪だったのが、少しずつ大きなぼた雪になって来た。

 ハミングが止まった。

 男は閉じていた眼を開け、空を見上げると、暫く落ちて来る雪を見ていた。

 男の眼が僕の姿を捉らえた。眼が合って金縛りに掛かったようになった。

 再びハミングが聞こえて来た。そのメロディは僕にもすぐに判った。

 それは、『ホワイト・クリスマス』だった。