三月ともなると、刑務官達も移動がある。

 私が居る舎房棟の担当も代わった。

 もう何人目になるだろうか。

 刑務官もいろいろ居て、昔ながらの厳しい者も居れば、優しい担当も居る。

 面白いもので、我々に気を配ってくれる担当に限って、余り出世には縁が無いようだ。

 新しい担当は…どうも出世に縁が無いタイプのようである。

 私達にはありがたい事ではあるが。

 ある日の事、私に教悔師の面会があった。

 教悔師とは、いろいろな宗派の宗教家の人で、受刑者や私達の相談事に応じてくれるボランティアの方達だ。

 普通は、こちらから面会の希望をするのだが、何故かこの時は、希望もしていないのに、面会があった。

 面会を告げられた私は、はっ、と気付いた。

 死刑の執行が近くなると、教悔師の面会があると聞いた事があったのだ。

 勿論、それが本当かどうかなど、刑務官達に聞いても絶対に教えてはくれないから、真実かどうかは定かではない。

 施設内の別室で、面会したが、話の内容は人の一生についてとか、輪廻についてといったもので、要するに宗教的な訓話のような話だった。

 話の最後に、心安らかに平安の気持ちで過ごして下さいと言われた時は、やっぱり近いのか、と思った。

 不思議とその事で気持ちがどうこうといった事もなく、普通に

 ああ、そうか

 位の感覚にしかならなかった。

 償いの日は、必ずいつか来るのだから……

 達観と言える程のものではない。また、諦めでもなく、私は真実そう思っていた。