その日の夜、夕食に顔を出さなかった市川の部屋をノックした。

……ドアじゃなくて、クローゼットから。


身を乗り出さなくても届くクローゼットのドアを、少しだけちゅうちょしてから軽く2回叩く。

少しして、僅かに明かりを漏らすクローゼットのドアが、ゆっくりと開けられた。


その向こうから気まずそうな表情を浮かべた市川が顔を覗かせる。

その表情は、明らかに昼間のキスを意識しているようで……目を逸らしながら口を開く。


「ちょっと、座れ」


目の前に開いてあるパソコンの液晶画面を見つめながら、市川を促す。

俺の言う通りに椅子に腰を下ろした市川を、パソコン越しに盗み見た。


毎日見ている茶色い髪は、今日は肩より少し下で小さく跳ねていて……いつか寝癖だってからかった事を思い出す。


『直らないんだもんっ』

返って来た言葉は強いものだったのに、それからしばらく市川は髪の小さな跳ねを気にしてたっけ。


『そんな気にしなくても誰も気付かねぇって』

『だって矢野は気付いたじゃん。矢野が気付いたって事はみんな気付くでしょ』

『……』

あの時答えなかったのは、答えられなかったのは……多分、もう市川への気持ちに気付きかけてたから。

市川を見てたから。

生徒じゃなく、特別な感情で見てたから。

……だから、気付いたんだ。


いつも強がりばかり言う口は、今日はキュっと閉じられていた。


最初見た時は……はっきり言ってドライなイメージを持った。

俺を警戒してか、全然自分を見せようとしなかったし、親の事だとか全く口しなかったから。

でも……接していくうちに、そのイメージは変わっていった。