……でも。

優しい啓太がいたのも、紛れもない事実だから。


恋してたのは、

好きだったのは、事実だから。


こんな関係に変わってしまっても、啓太との関係が完全に切れる事に、小さな寂しさを感じずにはいられなかった。


「あ、矢野……じゃなかった、先生」


思わず言い掛けてしまった言葉を言い直す。

矢野を先生って呼ぶのは当たり前なのに、なんでだかしっくりこない。


「ん?」

「名前、カタカナが本名なの?」


始業式の時からずっと疑問だった事。

別にそこまで気になってた訳でもなかったけど、話題を変えるのには丁度いい疑問。


あたしの問い掛けに矢野は黙って……、そして小さく笑みを作った。


「多分漢字だったんだろうけど……すげぇ小さい頃に捨てられたから覚えてなくて。

だからとりあえずカタカナで書いてるだけ」


矢野の言葉に、一瞬言葉を失って……だけど、すぐに聞き返す。

軽く言われた言葉が、信じられなくて。


「捨てられたって……」

「母親が、『迎えにくるからちょっと待っててね』って俺を施設に預けて……そのまま20年何にも音沙汰なし。

笑っちゃうよな」


わざとなのか、明るい声で笑いかけてくる矢野に、あたしはとてもじゃないけど笑顔を向ける事は出来なかった。


「……そんなの笑えないよ」


それだけ言って矢野を見つめると、矢野は明るい表情を少しだけ陰らせて微笑んだ。