記憶というものは、3つの機能で成り立っているらしい。
記憶すること、それを保持すること、そしてそれを思い出すこと。
リオの場合、〝思い出す〟という機能が幼い頃の大きな事故により、役割を果たさなくなってしまった。
記憶はしてくれるけれど、3日以上前に記憶したものを〝思い出す〟ということが、できない。
3日というリミットは、とても中途半端だった。
たとえば、毎日関わるもの。
人や場所なら昨日の記憶を辿れば思い出すことができる。
昨日も、昨日の昨日も、意識の中に在り続ければ〝思い出せない〟ことは無い。
つまり意識さえすれば、記憶は継続できるということだった。
昨日会った人の名前を、3日というリミット内で記憶を探し、その記憶内に〝残って〟さえいればいい。
〝0〟にさえならなければ、〝忘れる〟ということは少なくとも無かった。
だけどそれはつまり。
3日間、一度も思い出すことが無ければ、物だろうが、場所だろうが、親や友達や恋人だろうが二度と思い出すことは無い。
そういうことだ。
そういう中途半端なビョーキだった。



