松野はしばし無言のまま、手に持っていたアルトサックスを専用のハードケースの中に収めた。

丁寧に扱っている様子を見て、とても大事にしているのだとわかる。

あまり音が立たないようにケースを閉め、金具を留めた。

「逃げ出したい衝動に駆られたんです」

片付けを終えた彼女は、そう告げて適当な場所に腰を下ろした。

私を見ずに窓の方へ体を向け、足をブラブラ揺らし始める。

「衝動って、みんなが寝静まっている時間帯に駆られるものなの?」

衝動的になんて、そんなはずはない。

しっかり計画して、準備万端で出てきたはずである。

「……すみません」

私も松野の隣に腰を下ろした。

厚い雲のせいであまり光の入らない山小屋。

青白い閃光を受けたと思ったら、次の瞬間、爆発音ともとれる大きな音を聞いた。

音が静まったところで携帯を操作し、俊輔へ電話をかける。

彼は運転中のはずなのに、数回のコールで電話に出た。

「もしもし? あたし」

『どうした? 松野いた?』

「うん。いたよ。肝試しに使った山小屋」

しばらく話して電話を切ると、松野が不安げな顔でこっちを見ていた。

自分が逃げてしまったことで、この天気にもかかわらず捜索が行われている。

そのことと己の罪を認識して、罪悪感を噛み締めているようだ。

私はおどけた顔で告げる。

「もう少しで台風の目だから、その時を見計らって降りて来いってさ」

「そうですか」

松野は少しだけ笑った。