薫さん、ご無沙汰をしておりました。

最後に言葉を交わした日を遡れば、ご無沙汰どころではありませんね。

十四、五年前、一度偶然に薫さんを見掛けました。

和服姿のあなたは、良い年齢の重ね方を窺わせるような、そんな美しさを感じさせてくれました。

一瞬のすれ違い。

声を掛けようかと躊躇っているうちに、薫さんの姿は、人混みの中に消えてしまいました。


薫さんと初めて出会った時は、正直お互いに良い印象ではありませんでしたね。

バイト先の喫茶店で出会った訳ですが、先輩として先に働いていた薫さんは、他のバイト仲間には何時も笑顔を見せていたのに、僕には少しもその笑顔を見せてはくれませんでした。

何時頃からでしょうか。

僕自身も、理由などの無いわだかまりみたいな感情が消え、気付けば言葉を交わし、笑顔も交換し合う仲になっていました。

三つ年上の薫さんは、まるで僕の姉にでもなったかのように、何かと面倒を見てくれたり……。

そんな事を、僕は独り心の中で嬉しく思ったりしたものです。

一年程してバイトを辞める事になった僕に、薫さんが送別会をやってくれましたよね。

早番の者だけでしたから、四、五人だけのささやかな送別会でした。

おでん屋さんでの送別会。

したたかに僕は酔いました。

最後の方は、悪酔いが酷くなり、トイレへ行く度に心配そうに声を掛けてくれ、苦しそうに洗面所でうずくまる僕に、そっとハンカチを差し出してくれました。

そういえば、その時のハンカチ、お返ししてませんでした。

送別会の夜から丁度十年後、僕は結婚しました。

妻を選んだ理由…内緒なんですが、薫さんにとても似てたんです。

この事が妻に知れたら怒られるかも知れませんね。

多分、大丈夫だとは思いますけど……

薫さんを偶然に見掛けた日以来、僕は何度かすれ違った街に足を運びました。

もう一度、あなたをこの目で見たくて。

そして、薫さんのハンカチを返したくて……

今もハンカチは僕のポケットにあります。