さゆり様、お元気でしょうか。

今、僕は君と出逢ったあの店でこの手紙を書いています。

正確に言えば、場所は同じでも、あの頃の店ではなくなっていますが。

一階がコンビニになり、外に階段が作られて、新しいお店に変わってます。

去年は、まだ昔のままだったのに。

店内もすっかり変わってしまいましたが、カウンターの位置だけは同じです。

それと、君が必ず座っていた窓際にテーブルがある事も。

そのテーブルには、あの頃の君と同じく、制服を着た女子高生が座っています。

僕はもう、この店では働いてません。

今では、スーツが制服のサラリーマン。

クラシックが流れる窓際のテーブル席に、君はいつも一人で座っていました。

足元には楽器の黒いケース。

テーブルの上には楽譜。

君が、ブラスバンドでフルートをやっていると教えて貰ったのは、東京に初雪が舞った日でしたね。

君の名前を知ったのは、それから一ヶ月後の事。

同時に、君は音大に合格した事も話してくれました。

そして、高校の卒業式の帰りにやって来て、初めてリクエストをしましたね。

ドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』

フェルトベングラー指揮のレコードが、君の一番のお気に入りと知り、クラシックなんて興味の無かった僕は、この曲だけは覚えました。

その曲が、今流れてます。

クラシックではなく、女性歌手が歌っているやつですが。

春になり、学生服から私服姿になった君を初めて見たのは、桜の花がすっかり散った頃でした。

真っ直ぐだった髪に、少しウェーブが掛かり、うっすらと化粧をした君。

蛹が蝶になったかのようでした。

変わらなかったのは、窓際の席に座る事と、足元の黒いフルートケース。

そして、テーブルの上に置かれた楽譜。

もう一つ変わらないものがありました。

飲み物を注文する時に見せる、はにかむような笑顔と、髪の毛を触る癖。

その君がぷっつりと姿を見せなくなったのは、それから半年後の事でした。

結局、僕は君の事を知るばかりで、自分の事を何一つ話しませんでしたね。

名前も、歳も、そして、君への想いも。