「その落下防止柵の上に指輪を置け」
3センチくらいの幅の上に、裕一郎は言われるまま指輪を置いた。
「…で、どうするの?」
「そのまま見てればいい」
河村が後ろの壁に凭(もた)れたのを見て、彼も後ろに下がる。
しばらく何の変化もなかったが、突然、指輪が小刻みにカタカタ揺れ出したかと思うと、柵の向こうから人の手がすぅっと現れる。
「!!」
黒い影でない事に、裕一郎は驚いた。
「久司…影が人の姿になってる…」
「静かに。黙って見てろ」
窘(たしな)められて、彼は口を噤(つぐ)む。
頭部が見え、顔が、上半身が除々に現れる。
こうして見ると普通の女性にしか見えないが、右手首はやはりなかった。
テレビで報道されていた時の顔写真の記憶が、2人の脳裏に蘇る。
もう何とも言えない禍々しい雰囲気はどこにもなかった。
(昨日まで生きていた人だったのにな…)
そう思うと、裕一郎は何とも言えない複雑な気持ちになる。
…と、目が合った。
「あ…」
一瞬、声を掛けようとして河村に制される。
「これ以上、関わるな」
短い忠告だが、それはとても重い言葉だった。
この世とは違う世界へ旅立った者に、必要以上関わりを持つ事をしてはならない。
それは《見える者》が守らねばならない暗黙のルール。
でなければ、こちらが向こうの世界へ引き込まれてしまう危険性があるからだ。
裕一郎は小さく頷くと、大人しくその様子を見つめる。
寂しそうな表情を浮かべたその霊が言葉を発することはなかったが、指輪を手に握り締めると頭を下げ、そしてゆっくりと目の前で消えていった。
なぜ自殺をしたのか…その理由は分からないが、あの女の人が指輪の贈り主を大切に想っていた事だけは分かる。
「無事に渡し終えて良かったな」
河村が隣で呟いた。
「うん…これで少しでも、あの人の気持ちが救われるといいんだけど」
「大丈夫だろ、これで黄泉人として向こうに渡れるはずだ」
静かに合掌すると、
「さて、俺たちも帰るか」
「そうだね」
2人は顔を見合せ、駅を後にした。
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