上書きされたファーストキス〜変わらない距離の、その先で〜

スッ……と肩の力を抜き、男と葵のいる方へ向き直った。重心は揺るぎなく丹田(たんでん)に落ちている。
幼い頃から師範の父さんと歳の離れた兄さんに叩き込まれた、隙のない自然体だった。

「……男のシュミ変えてよ、葵。
私、こういう輩(やから) 相手すんの疲れたし、こんなヤツに拳ふるうの、もったいなくて」

「善処するよ」

葵がちょっと笑った。……言葉だけなんだから。

私たちのやり取りに苛立ったらしい男が、投げるように葵から手を放した。
立ち上がりざま、私に向かって来る。

「っざ、けんなっ! てめ、このっ──」

殴りかかってきた拳を、紙一重でかわす。
同時に、相手が突き出してきた腕を捕らえ、肘を固定しながら手首をぐいと捻(ひね)り上げ、そのままモルタルを模した床へと押し伏せた──相手の力を利用し、重心をかける無駄のない制圧。

「彼、野球部のエースなんだ」

「あっ、そう。サウスポーなのね。……商売道具、しばらく使えなくなってもいい?」

背後から低い声ですごむと、男はビクッと大きく震える。
私の人差し指と中指の付け根にある拳ダコが背中に触れているのが分かったのか、男の身体から降参したように力が抜けた。

──自分の置かれている状況が不利だってことに気づける程度の男で良かったよ。命拾いだね。