氷の君に、恋の歌を。

蓮斗はそっと手を伸ばして、乃愛の髪に触れた。
やさしく耳にかける仕草だけで、胸の奥がきゅっとなる。

「今日、朝比奈に礼言ってただろ」

「え? う、うん」

「ちゃんと見てた」

「見てたの?」

「当たり前だ」

少しだけ拗ねたような言い方が、なんだかかわいく思えてしまう。

「でも、朝比奈くんにはありがとうって言っただけだよ」

「わかってる」

「じゃあ平気でしょ?」

そう言って笑うと、蓮斗は少しかがんで乃愛と目線を合わせた。

「平気じゃない」

「え……」

「乃愛が誰かに笑いかけるたび、気になる」

またそんなことを言う。
真顔なのに、言葉だけが甘すぎる。

「蓮斗くんって、ほんとに嫉妬深いね」

「乃愛のせい」

「なんで私のせいなの」

「好きだから」

あまりにもまっすぐな答えに、乃愛は何も言えなくなる。

夕日が差しこむ教室。
近い距離。
ふたりの間に流れる静かな熱。

「乃愛」

名前を呼ばれて顔を上げると、蓮斗の手がそっと頬に触れた。

「今日ずっと、我慢してた」

「なにを……」

聞き返した声は、少し震えていた。
蓮斗の視線が、乃愛の唇に落ちる。

それだけで、何を言いたいのかわかってしまう。

「キス」

小さく落ちたひと言に、乃愛の心臓が跳ね上がった。

「教室だよ……?」

「今はふたりだけだ」

「そうだけど……」

恥ずかしくてたまらない。
でも、嫌じゃない。
むしろ同じ気持ちの自分がいて、もっと困る。

乃愛が迷いながら見つめ返すと、蓮斗はやさしく聞いた。

「だめか」

その聞き方はずるい。
断れるわけがない。

乃愛は真っ赤になりながら、小さく首を横に振った。

「……だめじゃない」

その答えを聞いた瞬間、蓮斗の表情がほんの少しやわらぐ。
そして次の瞬間、そっと唇が重なった。

やさしいキスだった。
けれど、触れた瞬間に胸の奥まで甘くしびれて、乃愛は思わず制服の袖をぎゅっとつかむ。

離れたあとも、蓮斗はすぐには距離を取らなかった。
近いまま、乃愛を見つめている。

「……かわいい」

かすれた声で言われて、乃愛の顔がさらに赤くなる。

「もう無理……」

「何が」

「蓮斗くん、ずるすぎる……」

乃愛がうつむくと、蓮斗はふっと笑って、そっと乃愛の額に自分の額を寄せた。

「慣れろ」

「こんなの慣れないよ……」

「じゃあ、何回もする」

さらっと言われたそのひと言に、乃愛の思考が止まる。

「れ、蓮斗くん!」

慌てる乃愛を見て、蓮斗は少しだけ楽しそうに目を細めた。
そんな表情を見せるのは、きっと乃愛の前だけだ。

静かな教室。
夕暮れの光。
世界にふたりだけみたいな空気の中で、乃愛は胸の奥が幸せでいっぱいになるのを感じていた。

氷の君は、もう冷たくなんてない。
乃愛にだけ見せる熱も、甘さも、全部が愛おしい。

そしてこれからもきっと、放課後の教室はふたりの大切な場所になっていく。