氷の君に、恋の歌を。

文化祭まで、あと一週間。

放課後の音楽室では、今日も乃愛の歌声と蓮斗のピアノが静かに重なっていた。
最初は途切れがちだった声も、今ではまっすぐに伸びるようになっている。

歌い終えたあと、乃愛は小さく息を吐いて笑った。

「今日、前よりうまく歌えた気がする」

「ああ。ちゃんと届く声になってる」

蓮斗の言葉に、乃愛の胸がふわっとあたたかくなる。
彼に認められるたび、自信が少しずつ育っていくのがわかった。

そのとき、音楽室の外から声がした。

「森下さん、いる?」

ドアを開けて顔をのぞかせたのは、朝比奈悠真だった。
今日も相変わらず、明るく人懐っこい笑顔を浮かべている。

「朝比奈くん?」

「差し入れ。練習してるって聞いたから」

そう言って、冷たい飲み物を差し出してくる。
乃愛が戸惑いながら受け取ると、悠真はにっと笑った。

「本番近いし、無理しないでね」

「ありがとう……」

やさしい。
けれどその空気が、隣にいる蓮斗をますます無口にさせていることに乃愛は気づいていた。

「一宮くんの伴奏、すごくいいね」

悠真が何気なく言う。

「でも森下さんの声、もっと自由に歌えたら絶対すごいと思う」

その言葉に、蓮斗の手がぴたりと止まった。

「どういう意味だ」

低い声。
さっきまでの静かな空気が、一瞬で張りつめる。

悠真は肩をすくめた。

「そのままだよ。大事にしすぎて、閉じこめてる感じがするってこと」

乃愛はどきりとした。
その言葉は少しだけ、図星だったからだ。

蓮斗はいつも乃愛を守ってくれる。
無理をさせないようにしてくれる。
でもそのやさしさに甘えて、乃愛自身が一歩を踏み出せていないのも事実だった。

「朝比奈くん、もういいよ」

乃愛が慌てて止めようとすると、悠真はやわらかく笑う。

「ごめん。意地悪したいわけじゃないんだ。ただ、本気で応援してる」

そう言い残して、悠真は去っていった。

ドアが閉まる。
音楽室に残ったのは、重たい沈黙だけだった。