氷の君に、恋の歌を。

悠真は気まずがる様子もなく、むしろ楽しそうに笑った。

「ふーん。じゃあ森下さん本人に聞くよ」

そう言って、蓮斗の横からひょいと顔をのぞかせる。

「森下さん、無理にとは言わない。でも、君の歌ちょっと聞いたことあるんだよね」

「え……?」

「この前、廊下で練習してるの。すごくきれいだった」

その言葉に、乃愛は息をのむ。
知らないうちに聞かれていたことに驚いたけれど、嫌な感じはしなかった。

「俺、ああいうまっすぐな声、好きだな」

あまりにも自然に言うから、乃愛はどう反応していいかわからなくなる。

すると隣で、空気が少しだけ冷えた気がした。

「朝比奈」

蓮斗の声が、一段低くなる。

「用が済んだなら帰れ」

「こわ。もしかして怒ってる?」

「別に」

「怒ってる顔だけど」

火花が散りそうなやり取りに、乃愛はおろおろとふたりを見比べた。

蓮斗はいつも静かだ。
でも今は、その静けさがかえって怖いくらい張りつめている。

悠真はそんな空気さえ面白がるように、にっと笑った。

「森下さん。また来るね」

「え?」

「返事は急がなくていいから。文化祭までに気が変わったら、いつでも声かけて」

軽く手を振って、悠真は音楽室を出ていった。

ドアが閉まる。
その瞬間、ようやく張っていた息を吐き出せた。

「び、びっくりした……」

乃愛がぽつりとつぶやくと、蓮斗は無言のままピアノの鍵盤に手を置いた。
けれど、音は鳴らない。

「蓮斗くん?」

呼びかけると、彼はゆっくり振り返る。

「行くのか」

「え?」

「朝比奈のところ」

その声は静かだった。
なのに、いつもよりずっと感情がにじんでいる。

乃愛は目を瞬かせた。

「行かないよ」

即答すると、蓮斗の目がわずかに揺れる。

「だって、私まだ自分のクラスのことで精いっぱいだし……それに」

そこまで言って、急に恥ずかしくなった。
でも言わなきゃいけない気がした。

「蓮斗くんと練習したいから」

言った途端、自分で自分の顔が熱くなるのがわかった。

しんと静まる音楽室。
蓮斗は数秒黙ったまま、乃愛を見つめている。

「……そうか」

たったそれだけ。
それだけなのに、彼の声はさっきより少しだけやわらかかった。