氷の君に、恋の歌を。

「……ごめん」

先に謝ったのは、蓮斗だった。
少しだけ息を切らしながら、まっすぐ乃愛を見る。

「また勝手なことした」

乃愛は首を横に振る。

「違うの。蓮斗くんは悪くない。悪くないけど……」

言葉の続きがうまく出てこない。
胸の奥に詰まった怖さは、自分でも整理できないほどぐしゃぐしゃだった。

蓮斗は少し黙ってから、静かに言う。

「こわかった?」

そのひと言で、乃愛の目の奥がじんと熱くなった。

「……うん」

認めた瞬間、張っていた糸が少しゆるむ。

「みんなに見られるの、期待されるの、また失敗するの……全部、こわい」

声が震える。
そんな乃愛を見ても、蓮斗は急かさなかった。

「でも」

彼は一歩だけ近づく。

「逃げたまま終わるのは、もっと嫌なんじゃないか」

その言葉に、乃愛ははっとする。

図星だった。
本当は、ずっと悔しかった。
歌えなくなった自分のままでいるのが苦しかった。
もう一度歌いたい気持ちは、消えてなんかいなかった。

「文化祭、本番に出ろとはまだ言わない」

蓮斗の声は、低くて落ち着いている。

「まずは練習しよう。誰もいない場所で。少しずつ」

「少しずつ……」

「無理なら止まればいい。できたところまででいい」

その言い方がやさしくて、乃愛はぎゅっと胸を押さえた。

この人は、無理やり引っぱるんじゃない。
ちゃんと、乃愛が怖がっていることをわかった上で手を差し出してくれる。

「俺も伴奏、やる」

「え?」

「さっき少しだけって言ったけど、君のためならちゃんと練習する」

あまりにさらっと言うから、乃愛は一瞬意味を飲みこめなかった。

「私のため……?」

「そう」

まっすぐすぎる返事に、心臓がうるさくなる。

「蓮斗くんって、ときどきすごいこと平気で言うよね」

「そうか?」

「そうだよ……」

乃愛が頬を染めると、蓮斗は不思議そうにしながらも、少しだけ口元をやわらげた。

「放課後、音楽室に来い」

「……命令みたい」

「お願いでもいい」

「それ、ずるい」

小さく笑うと、さっきまでの張りつめた空気が少しだけやわらいだ。

「行く」

乃愛はそっと答える。
まだ怖い。
でも、逃げたくない。

その気持ちをくれたのは、きっと目の前の彼だった。