準備室から教室へ戻ったあとも、ひまりの心臓はずっと落ち着かなかった。
唇に残る熱も、蓮の視線も、全部が近すぎた。
それなのに。
文化祭は容赦なく続いていく。
「白石さん、次の注文お願い」
「は、はいっ」
ひまりは赤い顔をごまかすように、トレーを抱えて教室の中を動き回った。隣では蓮が本当に見張るみたいに座っていて、男子が近づくたびに空気がぴりつく。
悠真たちはそんな蓮を見て、半分あきれ、半分面白がっていた。
けれど午後になって、その空気は一変した。
教室の扉が、がらりと開く。
ざわめきの中、入ってきた人物を見た瞬間、蓮の目が細くなった。
「……来ると思った」
低い声。
ひまりが振り向くと、そこにいたのは桐生拓真だった。
他校の制服を着崩し、数人の仲間を引き連れたまま、まるで自分の学校みたいな顔で教室に立っている。
教室中の視線が集まる中、拓真はまっすぐひまりを見た。
そして、ふっと笑う。
「やっぱり似合うな、その格好」
ひまりの肩がびくっと揺れた。
次の瞬間、蓮が立ち上がる。
「帰れ」
「文化祭くらい自由に見せろよ」
「見に来たのは文化祭じゃねぇだろ」
拓真は否定しなかった。
ただ、ひまりの前までゆっくり歩いてくる。
「ひまり」
名前を呼ばれた瞬間、蓮の空気が変わった。
ひまり自身も息をのむ。
拓真は前よりずっと静かな目でひまりを見つめた。
「この前は悪かった」
「え」
「怖がらせたのは本当だしな」
思いがけない言葉に、ひまりは目を丸くする。
けれどその直後、拓真は少しだけ口元を上げた。
「でも諦めるつもりはない」
空気が凍る。
蓮が一歩前に出るより先に、拓真はひまりの手首を取った。
「っ」
「少しでいい。話せよ」
その瞬間、蓮の理性が切れた。
拓真の腕を強く払いのけ、そのままひまりを自分の後ろにかばう。
「触んな」
教室中がしんと静まり返る。
「まだそんな必死なのかよ」
「当たり前だろ」
蓮の声は低く、鋭かった。
「こいつは俺の彼女だ」
その宣言に、周りが一気にざわつく。
ひまりの顔が熱くなる。
けれど拓真は引かない。
「彼女なら、奪っちゃいけない決まりでもあるか」
「ある」
「ねぇよ」
二人の視線が真っ向からぶつかる。
空気が痛いほど張りつめた、そのときだった。
「ちょっと待って」
震える声で、ひまりが前に出た。
蓮が止めようとするより先に、ひまりは二人の間に立つ。
「もうけんかするの、やだ」
小さいけれど、はっきりした声だった。
拓真が黙る。
蓮もまた、苦しそうに眉を寄せた。
ひまりはぎゅっとスカートを握りしめる。
「私は、物みたいに取り合われたいわけじゃない」
その言葉に、教室の空気が少しだけ変わった。
ひまりはまっすぐ拓真を見る。
「助けてもらったことはないけど、謝ってくれたのはうれしい」
次に、蓮を見る。
「でも、私が好きなのは蓮だよ」
教室のざわめきが止まる。
蓮の目が、大きく揺れた。
ひまりは真っ赤なまま、それでも逃げずに続ける。
「ちゃんと、みんなの前で言う」
その一言に、蓮の張りつめていた空気が崩れた。
苦しそうで、うれしそうで、どうしようもない顔だった。
拓真は数秒黙ってから、ふっと息を吐く。
「……完敗」
悔しそうに笑いながら、肩をすくめた。
「そこまで言われたら、今日は引くしかないか」
「今日も、だろ」
蓮が言い返すと、拓真はちらっとひまりを見る。
「また気が変わったら、いつでも来い」
「変わらない」
即答したのはひまりだった。
拓真は一瞬だけ目を見開いて、それからおかしそうに笑った。
「ほんとに強いな、おまえ」
そう言い残して、今度こそ教室を出ていく。
仲間たちもあとに続き、張りつめていた空気がようやくほどけた。
その直後だった。
ぐいっと腕を引かれて、ひまりは蓮の胸に抱き込まれる。
「れ、蓮っ」
「無理」
「また!?」
「今の聞いて、平気なわけねぇだろ」
耳元に落ちる声が震えている。
「みんなの前であんなこと言うとか反則」
ひまりは恥ずかしくて顔を上げられない。
けれど蓮の腕は苦しいくらい強くて、そのくせ少し震えていた。
「ほんとに、俺でいいんだな」
その聞き方が、ひどく弱くて切なかった。
ひまりはそっと蓮の制服をつかむ。
「蓮がいい」
短い返事。
でもそれだけで十分だったらしい。
蓮は深く息を吐くと、ひまりの顔をそっと上げた。
「キスしたい」
教室だと気づいて、ひまりは目を見開く。
「だ、だめ」
「だよな」
そう言いながらも、蓮の目はまったく諦めていない。
すると後ろから、盛大なため息が聞こえた。
「総長、さすがにここではやめて」
湊だった。
悠真は机に突っ伏しながら笑っている。
「でも今のひまりちゃん、かっこよすぎた」
臣も口元をゆるめる。
「総長、完全勝利じゃん」
律は少しだけ目を伏せて、それでも静かに言った。
「……よかったな」
蓮はひまりの手を握ったまま、誰にも渡さないみたいに指を絡める。
「後夜祭、行くぞ」
「え」
「二人で」
その言い方に、悠真がすぐ反応した。
「はいはい抜け駆け」
「今日は許してあげるよ」
「許可制じゃねぇ」
蓮はひまりを見て、少しだけやわらかく笑う。
「今度こそ、邪魔されないとこで」
その一言に、ひまりの頬がまた熱くなった。
文化祭はまだ終わっていない。
でもひまりにはわかっていた。
このあとの後夜祭で、きっとまた蓮は、とびきり甘くて重い顔を見せる。
唇に残る熱も、蓮の視線も、全部が近すぎた。
それなのに。
文化祭は容赦なく続いていく。
「白石さん、次の注文お願い」
「は、はいっ」
ひまりは赤い顔をごまかすように、トレーを抱えて教室の中を動き回った。隣では蓮が本当に見張るみたいに座っていて、男子が近づくたびに空気がぴりつく。
悠真たちはそんな蓮を見て、半分あきれ、半分面白がっていた。
けれど午後になって、その空気は一変した。
教室の扉が、がらりと開く。
ざわめきの中、入ってきた人物を見た瞬間、蓮の目が細くなった。
「……来ると思った」
低い声。
ひまりが振り向くと、そこにいたのは桐生拓真だった。
他校の制服を着崩し、数人の仲間を引き連れたまま、まるで自分の学校みたいな顔で教室に立っている。
教室中の視線が集まる中、拓真はまっすぐひまりを見た。
そして、ふっと笑う。
「やっぱり似合うな、その格好」
ひまりの肩がびくっと揺れた。
次の瞬間、蓮が立ち上がる。
「帰れ」
「文化祭くらい自由に見せろよ」
「見に来たのは文化祭じゃねぇだろ」
拓真は否定しなかった。
ただ、ひまりの前までゆっくり歩いてくる。
「ひまり」
名前を呼ばれた瞬間、蓮の空気が変わった。
ひまり自身も息をのむ。
拓真は前よりずっと静かな目でひまりを見つめた。
「この前は悪かった」
「え」
「怖がらせたのは本当だしな」
思いがけない言葉に、ひまりは目を丸くする。
けれどその直後、拓真は少しだけ口元を上げた。
「でも諦めるつもりはない」
空気が凍る。
蓮が一歩前に出るより先に、拓真はひまりの手首を取った。
「っ」
「少しでいい。話せよ」
その瞬間、蓮の理性が切れた。
拓真の腕を強く払いのけ、そのままひまりを自分の後ろにかばう。
「触んな」
教室中がしんと静まり返る。
「まだそんな必死なのかよ」
「当たり前だろ」
蓮の声は低く、鋭かった。
「こいつは俺の彼女だ」
その宣言に、周りが一気にざわつく。
ひまりの顔が熱くなる。
けれど拓真は引かない。
「彼女なら、奪っちゃいけない決まりでもあるか」
「ある」
「ねぇよ」
二人の視線が真っ向からぶつかる。
空気が痛いほど張りつめた、そのときだった。
「ちょっと待って」
震える声で、ひまりが前に出た。
蓮が止めようとするより先に、ひまりは二人の間に立つ。
「もうけんかするの、やだ」
小さいけれど、はっきりした声だった。
拓真が黙る。
蓮もまた、苦しそうに眉を寄せた。
ひまりはぎゅっとスカートを握りしめる。
「私は、物みたいに取り合われたいわけじゃない」
その言葉に、教室の空気が少しだけ変わった。
ひまりはまっすぐ拓真を見る。
「助けてもらったことはないけど、謝ってくれたのはうれしい」
次に、蓮を見る。
「でも、私が好きなのは蓮だよ」
教室のざわめきが止まる。
蓮の目が、大きく揺れた。
ひまりは真っ赤なまま、それでも逃げずに続ける。
「ちゃんと、みんなの前で言う」
その一言に、蓮の張りつめていた空気が崩れた。
苦しそうで、うれしそうで、どうしようもない顔だった。
拓真は数秒黙ってから、ふっと息を吐く。
「……完敗」
悔しそうに笑いながら、肩をすくめた。
「そこまで言われたら、今日は引くしかないか」
「今日も、だろ」
蓮が言い返すと、拓真はちらっとひまりを見る。
「また気が変わったら、いつでも来い」
「変わらない」
即答したのはひまりだった。
拓真は一瞬だけ目を見開いて、それからおかしそうに笑った。
「ほんとに強いな、おまえ」
そう言い残して、今度こそ教室を出ていく。
仲間たちもあとに続き、張りつめていた空気がようやくほどけた。
その直後だった。
ぐいっと腕を引かれて、ひまりは蓮の胸に抱き込まれる。
「れ、蓮っ」
「無理」
「また!?」
「今の聞いて、平気なわけねぇだろ」
耳元に落ちる声が震えている。
「みんなの前であんなこと言うとか反則」
ひまりは恥ずかしくて顔を上げられない。
けれど蓮の腕は苦しいくらい強くて、そのくせ少し震えていた。
「ほんとに、俺でいいんだな」
その聞き方が、ひどく弱くて切なかった。
ひまりはそっと蓮の制服をつかむ。
「蓮がいい」
短い返事。
でもそれだけで十分だったらしい。
蓮は深く息を吐くと、ひまりの顔をそっと上げた。
「キスしたい」
教室だと気づいて、ひまりは目を見開く。
「だ、だめ」
「だよな」
そう言いながらも、蓮の目はまったく諦めていない。
すると後ろから、盛大なため息が聞こえた。
「総長、さすがにここではやめて」
湊だった。
悠真は机に突っ伏しながら笑っている。
「でも今のひまりちゃん、かっこよすぎた」
臣も口元をゆるめる。
「総長、完全勝利じゃん」
律は少しだけ目を伏せて、それでも静かに言った。
「……よかったな」
蓮はひまりの手を握ったまま、誰にも渡さないみたいに指を絡める。
「後夜祭、行くぞ」
「え」
「二人で」
その言い方に、悠真がすぐ反応した。
「はいはい抜け駆け」
「今日は許してあげるよ」
「許可制じゃねぇ」
蓮はひまりを見て、少しだけやわらかく笑う。
「今度こそ、邪魔されないとこで」
その一言に、ひまりの頬がまた熱くなった。
文化祭はまだ終わっていない。
でもひまりにはわかっていた。
このあとの後夜祭で、きっとまた蓮は、とびきり甘くて重い顔を見せる。



