それから二人が完全に居なくなったのを見届けた後、図書室の時計を見てギョッとする。
針が示す時間は乗車予定のバスの出発まで十五分を切っていた。
夏希は慌てて図書室を出た。廊下を走るなと言われても非常事態。
普段は使わない路線を利用する予定だったので余裕を持って学校を出るつもりが、思わぬハプニングで足止めを食らってしまったのだから。
ちなみにバス停まで走ったのは理由があった。
今日はこっそり出かける場所がある。祖母が入院している病院だ。
祖母は変な子と言われがちだった日々に「ええじゃないの」と肯定をくれた大切な存在。
夏希は祖母が好きだった。
入院先には何度か両親と見舞いに行ったが物足りず、あまり先が長くないと知ってひとりで行くことにしたのだ。
なるべく両親に不審がられないタイミングを選ぶと時間が限られるので絶対に逃したくない。
全力で走り、幸いにもどうにか間に合って車内を見渡すと、がらんとした空間に由紀がひとり座っていた。
「――あれ、夏希……立花くん」
観察したい対象no.1となったばかりの彼女、橘由紀は夏希の名前をちゃんと覚えていて、「夏希」と発したあとそれをわざわざ言い直し苗字を呟いた。
「……なんで言い直したん」
この時、いつもなら無視する程度の、“独り言なのか呼びかけなのか分からない呟き“に返事をしてしまったのは、悟とのやり取りを見た後の熱が残っていたからかもしれない。
「……馴れ馴れしいかなって?」
独善的ヒーローな彼女は、どうやら陰キャラ男子との距離感を気にしてくれるらしい。
無意識に唇は綻んでいた。
それからの日々、要観察対象として由紀を目で追うようになった。
すると気づいたのが、彼女はどうもバス移動が苦手だということ。
教室ではシャキッとしている背中が、下校時のバスの車内ではどことなく苦しげに見えた。
窓ガラスに擦りつける形の良い小さな頭が大きな振動のたびに揺れて、どうにも辛そうな疲労感が背中から漂っている。
最後尾の座席から見える背中に声をかけたのは、そのとき飴を持っていたからかもしれない。
小袋を握り締め、夏希は密かに座席を立ち上がった。
結論、体調不良でも由紀の反応は面白い。
飴を受け取るより先に、所持していることに対して突っ込んできたのだ。
しかもさっきまで窓ガラスに染み込んで消えそうなほどぐったりとしていた姿が先ほどと打って変わっている。顔色は明るくなり、切長の凜とした眼に驚きを孕ませ何度も瞬くのだ。
安堵と同時に、やはり独特な空気感を持っている子だと思った。
それからたまにバスの中で言葉を交わすようになった。
雑談と呼ぶにはあまりに短すぎる、まるでクイズのような……問いと答えのみで成立してしまう程度のものだ。
そういったささやかな交わりが奇跡的に生まれていた。
なんとなく由紀が話し相手を求めているのは薄々感じていたが、しかし応える気にはなれなかった。
この関係は観察する人間とされる人間というシンプルなもの。
自分は遠くから眺めているぐらいが丁度いいのだ。
興味深いからといって近づくと、また『夏希ってなんか違うよね、ズレとる』と言われるかもしれないのだから。
だから必要最低限でいい。
聞かれたら答える、それぐらいが心地いい。
しかしその考えはある日あっさりと崩壊した。
針が示す時間は乗車予定のバスの出発まで十五分を切っていた。
夏希は慌てて図書室を出た。廊下を走るなと言われても非常事態。
普段は使わない路線を利用する予定だったので余裕を持って学校を出るつもりが、思わぬハプニングで足止めを食らってしまったのだから。
ちなみにバス停まで走ったのは理由があった。
今日はこっそり出かける場所がある。祖母が入院している病院だ。
祖母は変な子と言われがちだった日々に「ええじゃないの」と肯定をくれた大切な存在。
夏希は祖母が好きだった。
入院先には何度か両親と見舞いに行ったが物足りず、あまり先が長くないと知ってひとりで行くことにしたのだ。
なるべく両親に不審がられないタイミングを選ぶと時間が限られるので絶対に逃したくない。
全力で走り、幸いにもどうにか間に合って車内を見渡すと、がらんとした空間に由紀がひとり座っていた。
「――あれ、夏希……立花くん」
観察したい対象no.1となったばかりの彼女、橘由紀は夏希の名前をちゃんと覚えていて、「夏希」と発したあとそれをわざわざ言い直し苗字を呟いた。
「……なんで言い直したん」
この時、いつもなら無視する程度の、“独り言なのか呼びかけなのか分からない呟き“に返事をしてしまったのは、悟とのやり取りを見た後の熱が残っていたからかもしれない。
「……馴れ馴れしいかなって?」
独善的ヒーローな彼女は、どうやら陰キャラ男子との距離感を気にしてくれるらしい。
無意識に唇は綻んでいた。
それからの日々、要観察対象として由紀を目で追うようになった。
すると気づいたのが、彼女はどうもバス移動が苦手だということ。
教室ではシャキッとしている背中が、下校時のバスの車内ではどことなく苦しげに見えた。
窓ガラスに擦りつける形の良い小さな頭が大きな振動のたびに揺れて、どうにも辛そうな疲労感が背中から漂っている。
最後尾の座席から見える背中に声をかけたのは、そのとき飴を持っていたからかもしれない。
小袋を握り締め、夏希は密かに座席を立ち上がった。
結論、体調不良でも由紀の反応は面白い。
飴を受け取るより先に、所持していることに対して突っ込んできたのだ。
しかもさっきまで窓ガラスに染み込んで消えそうなほどぐったりとしていた姿が先ほどと打って変わっている。顔色は明るくなり、切長の凜とした眼に驚きを孕ませ何度も瞬くのだ。
安堵と同時に、やはり独特な空気感を持っている子だと思った。
それからたまにバスの中で言葉を交わすようになった。
雑談と呼ぶにはあまりに短すぎる、まるでクイズのような……問いと答えのみで成立してしまう程度のものだ。
そういったささやかな交わりが奇跡的に生まれていた。
なんとなく由紀が話し相手を求めているのは薄々感じていたが、しかし応える気にはなれなかった。
この関係は観察する人間とされる人間というシンプルなもの。
自分は遠くから眺めているぐらいが丁度いいのだ。
興味深いからといって近づくと、また『夏希ってなんか違うよね、ズレとる』と言われるかもしれないのだから。
だから必要最低限でいい。
聞かれたら答える、それぐらいが心地いい。
しかしその考えはある日あっさりと崩壊した。



