四浦のあまやどり〜雨のち晴れ、ときどき青い奇跡〜

 ある日の「あまなぎ」。

 カラン、カラン。

「いらっしゃいませ」

 夕凪が顔を上げると、そこには見覚えのある男性が立っていた。

 以前、上司と部下の間で悩んでいたスーツ姿の会社員だった。

「あ……お久しぶりです」

「まあ。久しぶりですね」

 男性は少し照れながら笑った。

「また来ちゃいました」

「嬉しいな。今日は何にする?」

 男性はメニューを開いた。

「前と同じ、カレーをお願いします」

「ふふ。やっぱりカレーなんだね」

「ここのカレー、好きなんです」

「じゃあ、少し待っててね」

 夕凪は厨房へ向かった。

 カレーを温めながら、唐揚げを揚げる。

 そして今日は、もう一品。

 じゃがいもを潰して、マカロニを混ぜたポテトサラダを作った。

 カレーをお皿に盛り、唐揚げとマカロニサラダを添える。

 そしてテーブルへ。

「お待たせしました」

 男性は料理を見て目を丸くした。

「あれ? 唐揚げ……」

「今日もサービス」

「ありがとうございます」

「それと、マカロニサラダもサービスね」

「えっ、これも?」

「うん。今日はちょっと多めに食べて、元気になってもらおうと思って」

 男性は嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。いただきます」

 まずカレーを一口。

「……やっぱり美味しい」

 次に唐揚げ。

「これも美味しいです」

 そしてマカロニサラダを食べる。

「マカロニ入ってるんですね」

「うん。今日はポテトサラダに入れてみたの」

「美味しいです」

 男性は、少しずつ料理を味わいながら笑っていた。

 そして、スプーンを置く。

「今日は、いい報告をしに来ました」

「うん。聞かせて」

 男性は、以前ここで相談した仕事の話を始めた。

「部下には、僕のやり方を押しつけないようにしました」

「うん」

「その子には、その子のやり方があるって考えるようにして」

 まずは、任せてみた。

 すると、部下は自分なりにしっかり考えて仕事をしていた。

「困ったときだけ手を貸すようにしたら、向こうから相談してくれるようになりました」

「よかったね」

「はい」

 男性は笑った。

「それから、上司にも自分の考えを伝えました」

「ちゃんと話せたんだね」

「はい。自分のやり方で、理由を説明しました」

 感情的にならず、会社にとってどういうメリットがあるのか。

 なぜその方法がいいと思うのか。

 一つずつ説明した。

「最初は難しい顔をしていましたけど……最後には『そこまで考えているなら、一度やってみろ』って」

「よかったね」

「はい」

 男性は、ほっとしたように笑った。

「部下には、部下のやり方で接する」

「うん」

「上司には、自分の考えをきちんと伝える」

「うん」

「前は、どちらにも自分の気持ちを我慢していました」

 男性は、残ったマカロニサラダを食べた。

「でも今は、相手を尊重しながら、自分の考えも大切にできるようになりました」

「それは大きな変化だね」

「はい」

 男性は笑った。

「ここで相談して、本当によかったです」

「私は話を聞いただけだよ」

「でも、動いたのは自分ですから」

 男性はそう言って、少し誇らしそうに笑った。

「また来てもいいですか?」

「もちろん」

「じゃあ、またカレー食べに来ます」

「そのときは、また何かサービスを考えておくね」

「楽しみにしてます」

 男性は笑いながら店を出ていった。

 カラン、カラン。

 扉が閉まる。

 夕凪は空になった皿を見つめた。

 カレーも。

 唐揚げも。

 マカロニサラダも。

 全部、きれいに食べてくれた。

 以前は仕事の悩みを抱えていた男性が、今日は晴れた顔で帰っていった。

 答えを出すのは、その人自身。

 「あまなぎ」は、ただ少し休んで、心を整理する場所。

 そして、また自分の足で歩き出す場所。

 今日も四浦の海は、静かに揺れていた。

 雨上がりの海に光が差し込むように――。

 男性の心にも、少しだけ明るい光が差し込んでいた。