雨の日の「あまなぎ」。
夕凪は、いつものように厨房でパンを焼いていた。
焼き上がったばかりのパンから、香ばしくて優しい匂いが店内に広がっている。
窓の外では、四浦の海が雨に煙っていた。
カラン、カラン。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、五十代くらいの女性だった。
濡れた傘をたたみ、店内を見回す。
「こちら、どうぞ」
夕凪が声をかけると、女性は窓際の席に座った。
「ありがとうございます」
「メニュー、どうぞ」
女性は少し考えてから、
「焼きたてのパンのサンドイッチと、コーヒーを。ホットでお願いします」
「かしこまりました」
夕凪は厨房へ向かった。
焼きたてのパンを切り、レタスと卵、ハムを挟んでいく。
パンの温かさが手のひらに伝わる。
「お待たせしました」
サンドイッチと、湯気の立つホットコーヒーをテーブルに置いた。
「わぁ……美味しそう」
「焼きたてですよ」
「いただきます」
女性はサンドイッチを一口食べた。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
コーヒーをゆっくり飲む。
女性はしばらく窓の外を眺めていた。
そして、ぽつり。
「……息子のことなんです」
夕凪は女性を見る。
「はい」
「私、息子のお嫁さんが大好きなんです」
その言葉には、優しさと寂しさが混ざっていた。
「若いのに、私の息子のところへ嫁に来てくれて……」
「うん」
「家のこともしてくれて、本当に良くしてくれるんです」
女性はコーヒーを一口飲んだ。
「だからこそ、最近気になることがあって」
「どんなことですか?」
「息子の、お嫁さんに対する口調なんです」
女性は少し眉を下げた。
「家では、息子が結構きつい言い方をすることがあって……」
「……」
「本人は、たぶん悪気はないんです」
「そうなんですね」
「でも、聞いている私は気になってしまって」
女性は俯いた。
「お嫁さんは笑っているんです。でも、本当は嫌な思いをしているんじゃないかって」
「……心配なんですね」
「はい」
女性は小さく頷いた。
「まだ若いのに、私たちの家に来てくれたんです」
「うん」
「ちゃんと幸せにしてあげられているのかなって……」
声が少し震える。
「私が知らないところで、我慢しているんじゃないかと思うと、不安になるんです」
夕凪は、女性の話をじっくり聞いた。
「お嫁さんに、直接聞いたことはありますか?」
「……ないんです」
「どう聞けばいいのか分からなくて」
「そうですよね」
夕凪は少し考えた。
「もしかしたら、お嫁さんも同じように、お義母さんに嫌われていないかって心配しているかもしれませんよ」
「えっ?」
女性が顔を上げた。
「人って、自分が大切に思っている相手ほど、『嫌われていないかな』って不安になることがありますから」
「……そうなのかしら」
「はい」
夕凪は微笑んだ。
「だから、息子さんの口調について注意する前に、お嫁さんに『いつもありがとう。あなたが来てくれて嬉しい』って伝えてみるのはどうでしょう?」
女性は黙って考えた。
「それから、もし気になることがあるなら……」
夕凪はゆっくり続けた。
「『息子の言い方、きつくない?大丈夫?』って、責めるように聞くんじゃなくて、ただ心配していることを伝えてみる」
「……それなら、できるかもしれません」
「もちろん、これも私からの助言です」
夕凪は笑った。
「お嫁さんがどう感じているのかは、お嫁さんにしか分からないですから」
「そうね……」
女性はサンドイッチをもう一口食べた。
「私、勝手に心配しているだけだったのかもしれないわね」
「心配するのは、それだけ大切に思っているからですよ」
その言葉に、女性は少し笑った。
「……そう言ってもらえると、なんだか安心します」
コーヒーを飲み干す。
「帰ったら、ちゃんと話してみます」
「はい」
「お嫁さんに、『あなたが来てくれて嬉しい』って伝えてみます」
「きっと喜ぶと思います」
女性は会計を済ませ、店を出る前に振り返った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
女性は傘を開いた。
雨の中へ歩いていく。
夕凪は、その背中を見送りながら思った。
嫁も、姑も。
どちらも相手を大切に思っている。
だからこそ、嫌われたくない。
嫌な思いをさせたくない。
その優しさが、時々すれ違いを生む。
でも――。
言葉にすれば、伝わることもある。
雨の日の「あまなぎ」は、今日も誰かの心に寄り添っていた。
焼きたてのパンの香りと、コーヒーの温かさ。
そして、少しだけ軽くなった心を残して。
夕凪は、いつものように厨房でパンを焼いていた。
焼き上がったばかりのパンから、香ばしくて優しい匂いが店内に広がっている。
窓の外では、四浦の海が雨に煙っていた。
カラン、カラン。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、五十代くらいの女性だった。
濡れた傘をたたみ、店内を見回す。
「こちら、どうぞ」
夕凪が声をかけると、女性は窓際の席に座った。
「ありがとうございます」
「メニュー、どうぞ」
女性は少し考えてから、
「焼きたてのパンのサンドイッチと、コーヒーを。ホットでお願いします」
「かしこまりました」
夕凪は厨房へ向かった。
焼きたてのパンを切り、レタスと卵、ハムを挟んでいく。
パンの温かさが手のひらに伝わる。
「お待たせしました」
サンドイッチと、湯気の立つホットコーヒーをテーブルに置いた。
「わぁ……美味しそう」
「焼きたてですよ」
「いただきます」
女性はサンドイッチを一口食べた。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
コーヒーをゆっくり飲む。
女性はしばらく窓の外を眺めていた。
そして、ぽつり。
「……息子のことなんです」
夕凪は女性を見る。
「はい」
「私、息子のお嫁さんが大好きなんです」
その言葉には、優しさと寂しさが混ざっていた。
「若いのに、私の息子のところへ嫁に来てくれて……」
「うん」
「家のこともしてくれて、本当に良くしてくれるんです」
女性はコーヒーを一口飲んだ。
「だからこそ、最近気になることがあって」
「どんなことですか?」
「息子の、お嫁さんに対する口調なんです」
女性は少し眉を下げた。
「家では、息子が結構きつい言い方をすることがあって……」
「……」
「本人は、たぶん悪気はないんです」
「そうなんですね」
「でも、聞いている私は気になってしまって」
女性は俯いた。
「お嫁さんは笑っているんです。でも、本当は嫌な思いをしているんじゃないかって」
「……心配なんですね」
「はい」
女性は小さく頷いた。
「まだ若いのに、私たちの家に来てくれたんです」
「うん」
「ちゃんと幸せにしてあげられているのかなって……」
声が少し震える。
「私が知らないところで、我慢しているんじゃないかと思うと、不安になるんです」
夕凪は、女性の話をじっくり聞いた。
「お嫁さんに、直接聞いたことはありますか?」
「……ないんです」
「どう聞けばいいのか分からなくて」
「そうですよね」
夕凪は少し考えた。
「もしかしたら、お嫁さんも同じように、お義母さんに嫌われていないかって心配しているかもしれませんよ」
「えっ?」
女性が顔を上げた。
「人って、自分が大切に思っている相手ほど、『嫌われていないかな』って不安になることがありますから」
「……そうなのかしら」
「はい」
夕凪は微笑んだ。
「だから、息子さんの口調について注意する前に、お嫁さんに『いつもありがとう。あなたが来てくれて嬉しい』って伝えてみるのはどうでしょう?」
女性は黙って考えた。
「それから、もし気になることがあるなら……」
夕凪はゆっくり続けた。
「『息子の言い方、きつくない?大丈夫?』って、責めるように聞くんじゃなくて、ただ心配していることを伝えてみる」
「……それなら、できるかもしれません」
「もちろん、これも私からの助言です」
夕凪は笑った。
「お嫁さんがどう感じているのかは、お嫁さんにしか分からないですから」
「そうね……」
女性はサンドイッチをもう一口食べた。
「私、勝手に心配しているだけだったのかもしれないわね」
「心配するのは、それだけ大切に思っているからですよ」
その言葉に、女性は少し笑った。
「……そう言ってもらえると、なんだか安心します」
コーヒーを飲み干す。
「帰ったら、ちゃんと話してみます」
「はい」
「お嫁さんに、『あなたが来てくれて嬉しい』って伝えてみます」
「きっと喜ぶと思います」
女性は会計を済ませ、店を出る前に振り返った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
女性は傘を開いた。
雨の中へ歩いていく。
夕凪は、その背中を見送りながら思った。
嫁も、姑も。
どちらも相手を大切に思っている。
だからこそ、嫌われたくない。
嫌な思いをさせたくない。
その優しさが、時々すれ違いを生む。
でも――。
言葉にすれば、伝わることもある。
雨の日の「あまなぎ」は、今日も誰かの心に寄り添っていた。
焼きたてのパンの香りと、コーヒーの温かさ。
そして、少しだけ軽くなった心を残して。

