四浦のあまやどり〜雨のち晴れ、ときどき青い奇跡〜

雨の四浦。

細い雨が、海へと続く道を静かに濡らしていた。

霧の向こうには、いつものように「あまなぎ」がある。

雨の日になると、なぜか誰かが訪れてくる喫茶店。

そして今日、夕凪は朝から少しだけ楽しみにしていることがあった。

――今日は、結月たちが来る日。

以前、結月が娘のいのりを連れて訪れたとき、

「今度は、るいさんも一緒に三人で来るね」

そう約束してくれたのだ。

夕凪は店の扉を開け、雨の様子を眺めながら店内を整えていた。

「今日は三人分……」

そう呟いて、いつもより少しだけ丁寧にテーブルを拭く。

そのときだった。

カラン――。

店の扉についた小さなベルが鳴った。

「こんにちはー!」

聞き覚えのある声。

夕凪が顔を上げると、そこには結月がいた。

その隣には、優しい笑顔を浮かべた男性。

そして、その手を握っている小さな女の子。

「夕凪! 約束どおり、三人で来たよ!」

「結月……!」

夕凪は嬉しそうに笑った。

「本当に来てくれたんだね」

「うん!」

結月が隣の男性を見る。

「旦那さんの、星川るいです」

るいは少し照れながら頭を下げた。

「初めまして。結月から、ここでの話はよく聞いてます」

「こちらこそ。夕凪です。今日は来てくれてありがとう」

すると、いのりが元気よく言った。

「るいさんじゃなくて、パパだよ!」

「そうだったね」

るいが笑う。

「今日は家族三人で来ました」

「うん。約束の日だね」

夕凪は三人を席へ案内した。

いのりは椅子に座ると、メニューを覗き込む。

「いのり、これ!」

指差したのは、お子様ハンバーグランチだった。

「これがいい!」

「じゃあ、いのりちゃんはお子様ハンバーグランチだね」

「オレンジジュースも!」

「もちろん」

夕凪が笑う。

「るいさんは?」

るいは少し考えてから、

「唐揚げ定食と、ウーロン茶をお願いします」

「はい」

そして結月は、

「私はサンドイッチとカフェラテにしようかな」

「了解」

夕凪は注文を書き終える。

そのとき、結月が思い出したように手に持っていた箱をテーブルへ置いた。

「そうそう。これ」

「?」

夕凪が箱を見る。

「チーズケーキ」

「チーズケーキ?」

「うん。むすび洋菓子店から持ってきたの」

結月は箱を開けた。

中には、きれいに並んだチーズケーキ。

「せっかく三人で来る約束をしたから、何か持ってこようって思って」

「結月……ありがとう」

夕凪は嬉しそうに箱を見つめた。

「これ、あとでみんなで食べよう」

「うん!」

いのりも嬉しそうに頷いた。

「チーズケーキ食べたい!」

「いのり、さっきハンバーグ頼んだばかりだろ?」

るいが笑う。

「デザートは別腹!」

「誰に似たんだろうね」

るいが結月を見る。

「え?」

結月が首を傾げる。

夕凪がくすっと笑った。

「結月に決まってるじゃん」

「もう、夕凪まで!」

三人の笑い声が、店内に広がった。

やがて料理が運ばれてくる。

「お待たせしました」

いのりの前には、お子様ハンバーグランチ。

小さなハンバーグに、ご飯、野菜。

そしてオレンジジュース。

「わあ!」

いのりの目が輝く。

「いただきます!」

「いっぱい食べてね」

次に、るいの前には唐揚げ定食。

揚げたての唐揚げから、香ばしい匂いが立ち上っている。

「これは美味しそうですね」

「揚げたてだから、熱いうちにどうぞ」

「いただきます」

そして結月の前には、具材がたっぷり入ったサンドイッチとカフェラテ。

「わあ……美味しそう」

結月が嬉しそうに笑った。

三人がそれぞれ食事を始める。

いのりはハンバーグを一口食べると、

「おいしい!」

と、満面の笑顔。

それを見て、結月もるいも笑う。

「いのり、美味しい?」

「うん!」

「よかったな」

るいが優しく頭を撫でる。

しばらくして、三人とも食事を終えた。

「ごちそうさまでした」

るいが言う。

結月も、

「美味しかった」

と笑った。

いのりは最後までオレンジジュースを大事そうに飲んでいた。

そして夕凪は、預かっていたチーズケーキの箱を持ってくる。

「じゃあ、お待ちかねのチーズケーキ」

「やったー!」

いのりが両手を上げる。

「今日は結月が持ってきてくれたから、みんなでいただこう」

三人の前にチーズケーキを並べる。

しっとりとした生地。

ほんのり甘い香り。

結月が作った、むすび洋菓子店のチーズケーキ。

「いただきます」

るいが一口食べる。

「うん。やっぱり美味しい」

「でしょ?」

結月が嬉しそうに笑う。

いのりも小さく一口。

「おいしい!」

「いのり、ゆっくり食べるんだぞ」

「はーい」

夕凪はその光景を眺めていた。

家族三人。

美味しい料理を食べて、笑っている。

以前ここに来た結月は、一人で悩みを抱えていた時期もあった。

でも今は、隣にるいがいて。

その間には、いのりがいる。

三人で「あまなぎ」に来てくれた。

約束を覚えていてくれた。

それだけで、夕凪は嬉しかった。

食事を終え、るいが財布を取り出す。

「お会計、お願いします」

「はい」

夕凪がお会計を伝える。

るいが支払いを済ませる。

そして、三人は席を立った。

「今日はありがとう」

結月が笑う。

「こちらこそ。三人で来てくれて嬉しかった」

「また来るね」

「うん。待ってる」

いのりが夕凪のところへ駆け寄った。

「夕凪さん、また来るね!」

「うん。また雨の日にね」

「はーい!」

るいも、

「今度は雑貨屋にも遊びに来てください」

と笑った。

「もちろん。今度行くね」

結月が二人を呼ぶ。

「るいさん、いのり、行こう」

「うん!」

三人は一本の傘の下へ。

雨の中、ゆっくりと歩いていく。

夕凪は店の窓から、その背中を見送った。

雨はまだ降っている。

けれど、四浦の海は少しずつ明るくなっていた。

霧の向こうに見える海が、雨の合間から淡い緑色を覗かせている。

――約束を守って、三人で来てくれた。

それだけで、今日の「あまなぎ」は少し特別だった。

誰かの心に降る雨が、いつかやむように。

ここで過ごした時間が、誰かの心をほんの少しでも温めますように。

夕凪は静かに、店の灯りを見つめた。

「あまなぎ」は今日も、雨の中にあった。