四浦のあまやどり〜雨のち晴れ、ときどき青い奇跡〜

 夕方の「あまなぎ」。

 窓の外には、四浦の海が広がっていた。

 昼間の青さとは少し違い、夕暮れの光を受けて、海がゆっくりと金色に染まり始めている。

 店内には、焼きたてのパンの香りと、コーヒーの香りが漂っていた。

 そのとき――。

 カラン、カラン。

「いらっしゃいませ」

 夕凪が顔を上げる。

「夕凪ー! 久しぶり!」

「……結月?」

 入り口に立っていたのは、湯布院で「むすび洋菓子店」を営む結月だった。

 そして、その隣には小さな女の子がいる。

「いのりも一緒だよー!」

「こんにちは!」

 いのりが元気よく頭を下げた。

「いのりちゃん!」

 夕凪は嬉しそうに笑った。

「大きくなったね!」

「うん!」

 いのりもにこにこしながら頷く。

「どうしたの? 突然」

「来たよー!」

 結月は昔と変わらない笑顔で言った。

「追加分のチーズケーキを届けに来たついでにね!」

「ありがとう」

 結月は持っていた箱をカウンターへ置いた。

「それから、もう一つあるの」

「まだあるの?」

「あるある」

 結月はもう一つ箱を取り出した。

「レアチーズケーキも作ったから!」

「えっ?」

「これもどうぞ!」

 夕凪が箱を開ける。

 中には、真っ白でなめらかなレアチーズケーキが綺麗に並んでいた。

「……綺麗」

「でしょう?」

「ありがとう、結月」

「幼馴染なんだから、そんなに気を遣わなくていいって」

「でも、嬉しいよ」

「この前、追加のチーズケーキ頼んでくれたでしょう?」

「うん」

「だから、そのついでに作ったの」

 結月は笑った。

「夕凪のお店のお客さんにも、食べてもらえたら嬉しいなって」

「ありがとう。大切に出すね」

 そのとき、いのりが箱を覗き込んだ。

「ママ、これ食べていい?」

「これは夕凪さんのお店の分だよ」

「そっかぁ……」

 いのりが少し残念そうな顔をする。

 それを見た夕凪が笑った。

「いのりちゃん」

「なあに?」

「今日は、お客さんとして食べていかない?」

「いいの!?」

「もちろん」

「やったー!」

 いのりは嬉しそうにメニューを手に取った。

「何がいい?」

「これ!」

 いのりが指差した。

「お子様パンケーキセット!」

「うん。飲み物は?」

「りんごジュース!」

「はい、かしこまりました」

 結月もメニューを手に取る。

「私はナポリタンとウーロン茶」

「了解」

 夕凪は厨房へ向かった。

 まず、パンケーキの生地を焼く。

 ふんわりと膨らんだパンケーキを、お子様が食べやすいように可愛く盛り付ける。

 りんごジュースをグラスに注ぐ。

 そして、結月のナポリタン。

 玉ねぎ、ピーマン、ウインナーを炒め、ケチャップを加える。

 ジュージューという音とともに、懐かしい香りが店内に広がった。

「お待たせしました」

 夕凪は、いのりの前にお子様パンケーキセットを置いた。

「わぁ!」

 いのりの顔がぱっと明るくなる。

「パンケーキ!」

「熱いから、気をつけて食べてね」

「うん!」

 続いて、りんごジュースを置く。

「りんごジュース!」

「こぼさないようにね」

「はーい!」

 そして結月の前には、ナポリタンとウーロン茶。

「お待たせ」

「いただきます」

 結月はフォークでナポリタンを巻いて、一口食べた。

「うん。美味しい」

「よかった」

「夕凪、料理も上手になったね」

「結月に言われると、なんか恥ずかしい」

「昔から料理好きだったじゃん」

「そうだったっけ?」

「そうだよ」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 いのりもパンケーキを一口食べる。

「おいしい!」

「よかったね」

 結月が娘を見て微笑む。

「ママ、ここ好き!」

「よかったね」

 いのりは嬉しそうにパンケーキを食べ続けた。

 そんな二人を見て、夕凪も嬉しくなる。

 そして、夕凪はカウンターへ戻った。

 しばらくして――。

「そうだ」

 夕凪は何かを思い出したように言った。

「二人にサービスがあるよ」

「サービス?」

 結月が首を傾げる。

 夕凪が持ってきたのは、小さなグラスに入ったミニパフェ。

 それを二つ、テーブルに置いた。

「わぁ!」

 いのりの目が輝く。

「パフェ!」

「いのりちゃんの分」

「やったー!」

 そして、もう一つを結月の前へ。

「結月の分も」

「えっ、私にも?」

「もちろん」

「ありがとう、夕凪!」

「今日は二人で来てくれたからね」

「嬉しい!」

 二人は顔を見合わせた。

「いただきます!」

「いただきます!」

 いのりは嬉しそうにミニパフェを一口。

「おいしい!」

 結月もスプーンですくって食べる。

「うん。美味しい」

「よかった」

「でも夕凪」

「ん?」

「サービスしすぎじゃない?」

「いいの」

 夕凪は笑った。

「今日は特別」

「じゃあ、遠慮なくいただきます」

 結月といのりは、並んでミニパフェを食べた。

 しばらくして、結月が店内を見渡した。

「夕凪」

「ん?」

「ここ、本当にいいお店になったね」

「ありがとう」

「前に聞いたけど、いろんな人が悩みを抱えて来るんでしょう?」

「うん」

「どんな人が来るの?」

「友達のことで悩んでる子もいたし、仕事で悩んでる人もいた」

「そうなんだ」

「家族のことで悩んでる人もいたよ」

「そっか」

 結月は少し考えてから笑った。

「夕凪らしいね」

「私らしい?」

「うん」

「どういうところが?」

「昔から、人の話を聞くの好きだったじゃん」

「結月だって、人と人を結ぶお菓子を作ってるじゃない」

「ああ……」

 結月は笑った。

「そうだったね」

 二人は幼馴染。

 小さな頃から一緒に過ごしてきた。

 今は、結月は湯布院で「むすび洋菓子店」を。

 夕凪は四浦で「あまなぎ」を。

 別々の場所で、それぞれの店を営んでいる。

 けれど、誰かを幸せにしたいという気持ちは、どこか似ていた。

「結月」

「なに?」

「レアチーズケーキ、本当にありがとう」

「ううん」

 結月は笑った。

「私も、夕凪に会いたかったから」

「私も会いたかった」

「じゃあ、来てよかった」

「うん」

 いのりが二人の会話に入ってくる。

「夕凪さん!」

「ん?」

「また来てもいい?」

「もちろん」

「今度はパパも連れてくる!」

「楽しみにしてるね」

「絶対だよ!」

「うん。約束」

 いのりが小指を差し出す。

 夕凪も小指を絡めた。

「約束」

「ゆびきり!」

 結月は、その様子を見て笑った。

「いのり、すっかり夕凪のこと気に入ったね」

「うん!」

 いのりは元気よく答えた。

「また来る!」

「待ってるよ」

 やがて、二人は食事を終えた。

「ごちそうさまでした!」

 いのりが元気よく言う。

「美味しかったね」

 結月も笑いながら頷いた。

「うん!」

 二人は席を立ち、レジへ向かった。

「お会計お願いします」

「はい」

 夕凪が伝票を確認する。

「お子様パンケーキセットと、りんごジュース。結月はナポリタンとウーロン茶ね」

「うん」

「ミニパフェはサービスだから、お会計には入ってないよ」

「分かってる」

 結月は財布を取り出し、きちんと会計を済ませた。

「ありがとう」

「こちらこそ、来てくれてありがとう」

 夕凪は笑った。

「今日は楽しかった」

「私も」

 いのりも夕凪を見上げる。

「また来るね!」

「うん。またおいで」

「今度はパパも!」

「楽しみにしてる」

 結月は、持ってきた箱のことを思い出した。

「じゃあ、チーズケーキとレアチーズケーキ、よろしくね」

「任せて」

「みんなに食べてもらえたら嬉しいな」

「きっと喜ぶよ」

 結月は笑った。

「じゃあ、またね、夕凪」

「うん。またね、結月」

「バイバイ、夕凪さん!」

「バイバイ、いのりちゃん」

 カラン、カラン。

 二人が店を出ていく。

 夕凪は、二人の姿が見えなくなるまで見送った。

 カウンターには、結月が届けてくれたチーズケーキとレアチーズケーキ。

 そして、二人が食べたミニパフェの空っぽの器。

 今日は、悩みを抱えたお客さんではなかった。

 昔からの大切な友達と、その娘が来てくれた。

 それだけのことなのに――。

 夕凪の心は、温かかった。

 誰かの心を凪がせる「あまなぎ」。

 でも、ときには店主自身の心も、誰かとの時間によって凪いでいく。

 窓の外では、夕暮れの四浦の海が静かに揺れていた。

 遠く離れた湯布院と四浦。

 それぞれの場所で、それぞれの人を笑顔にする二つのお店。

 「むすび洋菓子店」と「あまなぎ」。

 その二つを繋いでいるのは――。

 幼い頃から変わらない、二人の友情だった。

 夕凪は、冷蔵庫にチーズケーキとレアチーズケーキをそっとしまった。

「明日も、誰かの心が少し凪ぎますように」

 小さく呟く。

 外の海は、今日も穏やかだった。

 そして「あまなぎ」には、また新しい物語が訪れようとしていた。