氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

 朝。

「旦那様」

「ん?」

「最近、屋敷の人が忙しそうです」

 朝食の席で、エレノアがぽつりと言った。

「そうか?」

「はい。昨日も侍女の方たちが布をたくさん運んでいました」

「ああ」

「何かあるのでしょうか?」

 レオンハルトは一瞬だけエレノアを見る。

「……もうすぐ大きな行事があるからな」

「行事?」

「ああ」

「何の行事ですか?」

「……」

 レオンハルトは少し考えた。

「三か月記念だ」

「三か月……」

 エレノアは首を傾げた。

「何の三か月ですか?」

「君がこの屋敷に来てからの三か月だ」

「……ああ」

 エレノアは納得した。

「そういえば、もうすぐ三か月ですね」

「ああ」

「早いです」

「そうだな」

 レオンハルトはそれ以上何も言わなかった。

 エレノアも、特に気にする様子はなかった。

 ――結婚式のことなど。

 すっかり頭から抜け落ちているらしい。

 レオンハルトは少しだけ苦笑した。




 ◇

 その日の午後。

「エレノアちゃん!」

 セシリアがやってきた。

「今日は結婚式のドレスを選びましょう」

「……?」

 エレノアが首を傾げる。

「結婚式……?」

「ええ」

「誰のですか?」

「……」

 セシリアが固まる。

 隣にいたマリアも固まる。

 少し離れたところにいたレオンハルトも固まった。

「エレノアちゃん」

「はい?」

「あなたとレオンハルトの結婚式よ?」

「……」

 エレノアは目を瞬かせた。

「あ」

「そういえば、そうでした」

 セシリアは額に手を当てた。

「あなた、本当に忘れてたのね……」

「申し訳ありません」

「謝ることじゃないわ」

 セシリアは笑った。

「むしろ可愛いわ」

「……?」

 エレノアには、なぜ褒められているのかわからない。

「じゃあ、今日は結婚式のドレスを選びましょう!」

「はい」

 エレノアは素直に頷いた。




 ◇

 王都でも名の知れた仕立て屋。

 店内には、普段着るドレスとは比べものにならないほど豪華な衣装が並んでいた。

 白いドレス。

 銀糸の刺繍が施されたもの。

 真珠が散りばめられたもの。

 花を模したレースのもの。

「……綺麗です」

 エレノアは目を輝かせた。

「でしょう?」

 セシリアも嬉しそうだった。

「今日はちゃんと、エレノアちゃん自身が選ぶのよ」

「はい」

 店員が何着か持ってくる。

「こちらはいかがでしょう?」

「……」

 エレノアは一着ずつ眺める。

「こちらも素敵です」

「では、着てみましょう」

「はい」




 ◇

「まあ……!」

 カーテンが開く。

 純白のドレスを着たエレノアが姿を見せた。

 細い身体を包むように柔らかな布が流れ、腰から広がるスカート。

 まだ幼さの残る顔立ちが、白いドレスによってより儚く見える。

「可愛い……」

 セシリアが両手を合わせる。

「とっても綺麗よ、エレノアちゃん」

「ありがとうございます」

 エレノアは鏡を見る。

「……」

「どう?」

「綺麗です」

「エレノアちゃんも綺麗よ」




 ◇

 二着目。

 三着目。

 どれも美しい。

 けれど。

「……」

 エレノアは、先ほど見た一着を目で追っていた。

「これが気になるの?」

 セシリアが気づく。

「はい」

「着てみる?」

「お願いします」

 最後に選んだのは。

 純白のドレスに淡い青の刺繍が入ったものだった。


胸元には小さな花。

 裾にも同じ花が散りばめられている。

「……」

 鏡の前に立つ。

 エレノアはじっと自分を見る。

「これ……好きです」

 セシリアの顔がぱっと明るくなる。

「じゃあ、これにしましょう!」

「いいのですか?」

「もちろん」

「……」

 エレノアはドレスの裾を少し持ち上げる。

「旦那様も、好きでしょうか」

 セシリアが目を丸くする。

「レオンハルトに見せたい?」

「はい」

 エレノアは何の疑いもなく答えた。

「旦那様が、似合うと言ってくださったら嬉しいです」

 セシリアは一瞬驚いた。

 そして。

「結婚式で見せましょうね」

セシリアは微笑んだ。


 ◇

 その頃。

 レオンハルトは王宮から戻ってきていた。

「旦那様」

 セバスチャンが出迎える。

「奥様は?」

「セシリア様とドレス選びへ」

「そうか」

「結婚式用のドレスでございます」

「ああ」

 レオンハルトは少しだけ微笑む。

「気に入ったものを選べるといいな」

「きっと大丈夫でしょう」

「そうだな」

 セバスチャンが少し間を置く。

「ちなみに」

「何だ?」

「奥様は、結婚式が近いことを完全に忘れておられたようでございます」

「……」

 レオンハルトは目を閉じた。

「そうか」

「はい」

「……エレノアらしいな」

「左様でございます」




 ◇

 夕方。

 馬車が屋敷へ戻ってくる。

「旦那様!」

 エレノアが玄関へ駆け寄った。

「おかえりなさいませ」

「ただいま」

「今日、結婚式のドレスを選びました」

「そうか」

「はい」

「どんなドレスだ?」

「白いドレスです」

「……」

「少し青いお花がついています」

「君が選んだのか?」

「はい」

「そうか」

 レオンハルトは嬉しそうに笑った。

「楽しみだな」

「旦那様も見たいですか?」

「ああ」

「では、完成したら見せます」

「完成するまで楽しみにしておく」

「はい」

 エレノアは笑った。

「旦那様」

「何だ?」

「結婚式って、何をするのでしょう?」

「……」

 レオンハルトは一瞬黙った。

「夫婦になるための儀式だ」

「……」

「皆の前で、これからも一緒にいると誓う」

「そうなのですね」

「ああ」

「では」

 エレノアは少し考えてから言った。

「今までとあまり変わらないのですね」

「……」

 レオンハルトは思わず笑った。

「そうだな」

「よかったです」

「何が?」

「旦那様と一緒にいられるなら、それでいいので」

 あまりにも自然な言葉だった。

 レオンハルトは黙り込む。

「旦那様?」

「……何でもない」

「そうですか?」

「ああ」

 レオンハルトはエレノアの頭を優しく撫でた。

「ただ」

「はい」

「結婚式の日は、いつもより少しだけ綺麗な君を見られると思うと楽しみだ」

「……」

 エレノアは少し照れたように笑う。

「ありがとうございます」

「こちらこそ」




 ◇

 夜。

 レオンハルトは一人、窓辺に立っていた。

 もうすぐ。

 エレノアがこの屋敷へ来て三か月。

 そして。

 二人が正式に夫婦として皆の前に立つ日が来る。

 最初はただの契約だった。

 愛するつもりもなかった。

 妻として最低限守る。

 それだけでいいと思っていた。

 なのに。

 今は。

 彼女が笑えば嬉しい。

 彼女が楽しそうなら安心する。

 少しでも寒そうにしていれば気になる。

 美味しいものを食べている姿を見るだけで満たされる。

 そして何より。

 これから先もずっと。

 彼女の隣にいたいと思う。

「……」

 レオンハルトは小さく笑った。

 結婚式は、彼にとってはただの形式ではない。

 あの日を境に。

 エレノアを「契約上の妻」ではなく。

 本当の意味で、自分の妻として迎えたい。

 その一方で。

 本人はまだ。

 結婚式の意味を半分も理解していない。

「……まあ、いいか」

 レオンハルトは窓の外を見る。

 あと少し。

 その日が来れば。

 きっと、エレノアにも分かる。

 自分がどれだけ大切にされているのか。

 そして。

 自分がどれだけ大切にしているのかを。

 ――その日まで。

 レオンハルトは、静かに待つことにした。