朝食を終えた頃。
「エレノアちゃん!」
セシリアが弾むような足取りでやってきた。
「今日は予定があるわよ!」
「予定、ですか?」
「ええ!」
エレノアが首を傾げる。
「何をするのですか?」
「秘密!」
「……?」
セシリアは楽しそうに笑った。
その後ろから、レオンハルトがやってくる。
「母上」
「何?」
「昨日言っていた件か?」
「そうよ」
レオンハルトがエレノアを見る。
「今日は母上と出かけてくるといい」
「どこへ行くのでしょう?」
「それは母上に聞け」
「ふふ。行けば分かるわ」
「はい」
エレノアは素直に頷いた。
するとレオンハルトが続ける。
「ただし」
「はい?」
「疲れたらすぐに言うこと」
「はい」
「無理をしない」
「はい」
「昼食はちゃんと食べる」
「はい」
「喉が渇いたら――」
「レオンハルト」
セシリアが呆れた顔をする。
「あなた、もう十分よ」
「……」
「エレノアちゃんは病人じゃないんだから」
「分かっている」
「本当に?」
「……」
レオンハルトは黙った。
エレノアが小さく笑う。
「旦那様」
「何だ?」
「大丈夫です」
「何かあったらすぐに俺へ知らせろ」
「はい」
セシリアがエレノアの手を取る。
「さあ、行きましょう!」
「はい」
二人が屋敷を出ていく。
その姿を見送ったレオンハルトは、しばらく玄関を眺めていた。
「旦那様」
「何だ?」
隣に立つセバスチャンが静かに言う。
「奥様が心配で仕方がないのでございますね」
「……母上がついている、問題ない」
「左様でございますか」
セバスチャンは微笑んだ。
「では、なぜまだ玄関を見ておられるので?」
「……」
レオンハルトは何も答えなかった。
◇
「わぁ……」
馬車が止まった場所を見て、エレノアが目を丸くする。
そこは王都でも有名な仕立て屋だった。
大きなガラス窓の向こうには、色とりどりのドレスが並んでいる。
「ここは?」
「ドレスのお店よ」
「ドレス……」
「そう!」
セシリアは嬉しそうに笑う。
「今日はエレノアちゃんのドレスを見に来たの」
「私の?」
「ええ」
「……どうしてですか?」
「可愛い娘には、可愛い服を着せたいでしょう?」
「……」
エレノアは少しだけ目を伏せた。
「私は……ドレスを着たことがありません」
「じゃあ、今日が初めてね」
セシリアは何でもないことのように言った。
「好きなものを選びましょう」
「私が?」
「もちろん」
その言葉に。
エレノアは少し戸惑った。
◇
店内。
「こちらはいかがでしょう?」
店員が淡い桃色のドレスを持ってくる。
エレノアは鏡の前に立つ。
「まあ……」
セシリアが嬉しそうな声を上げる。
「可愛い!」
エレノアは鏡を見る。
淡い桃色の布。
細かな刺繍。
ふわりと広がるスカート。
「……」
「どう?」
「綺麗です」
「でしょう?」
「でも……」
「何?」
「私が着てもいいのでしょうか」
セシリアの表情が一瞬だけ止まった。
「もちろんよ」
「……」
「エレノアちゃん」
セシリアは優しく彼女の肩に手を置いた。
「あなたのために作るドレスなのよ」
「……私のため」
「そう」
エレノアはもう一度、鏡を見る。
「……不思議です」
「何が?」
「自分のために服を選ぶのは、初めてなので」
セシリアは何も言わず、エレノアの髪を撫でた。
「じゃあ、これからいっぱい選びましょう」
「はい」
◇
次は淡い水色。
その次は白。
薄紫。
若草色。
次々とドレスを試着する。
「これも似合うわ!」
「こちらも素敵!」
「エレノアちゃん、こっちを着てみましょう!」
「はい」
最初は戸惑っていたエレノアも、少しずつ楽しそうになっていった。
「お義母様」
「どうしたの?」
「このドレスは、少し袖が長いです」
「本当ね。じゃあ直してもらいましょう」
「はい」
「こっちは?」
「……好きです」
「!」
セシリアが嬉しそうに笑った。
「もう一度言って?」
「……好きです」
「まあ!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「……?」
エレノアは不思議そうに首を傾げた。
でも。
セシリアが嬉しそうなので。
エレノアも嬉しくなった。
◇
しばらくして。
エレノアは一着のドレスの前で足を止めた。
淡い青。
派手すぎない装飾。
細い腰からふんわりと広がるスカート。
胸元には、小さな花の刺繍。
「……」
エレノアはじっと見つめている。
「気に入った?」
セシリアが尋ねる。
「……はい」
「じゃあ、着てみましょう」
「はい」
着替え終わる。
鏡の前に立つ。
「……」
エレノアは自分の姿を見つめた。
今まで。
自分のことを綺麗だと思ったことなどなかった。
けれど。
「……綺麗」
思わず呟く。
セシリアは微笑んだ。
「そうでしょう?」
「はい」
「このドレスが一番好き?」
「……はい」
「じゃあ、これにしましょう」
セシリアは笑った。
「あなたはもう、誰かに決めてもらわなくていいのよ」
「……」
「自分が好きなものを、自分で選んでいいの」
エレノアは鏡を見る。
そして。
「……はい」
小さく笑った。
「これが好きです」
◇
帰りの馬車。
エレノアは大切そうに小さな袋を抱えていた。
中には髪飾りが入っている。
小さな青い花の髪飾り。
「可愛いわね」
「はい」
「今度、レオンハルトに見せましょうね」
「はい」
エレノアは髪飾りを見ながら笑った。
「旦那様、喜んでくださるでしょうか」
「絶対喜ぶわ」
セシリアは確信していた。
◇
夕方。
屋敷に戻る。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
レオンハルトが玄関まで迎えに来ていた。
エレノアは駆け寄る。
「旦那様」
「どうだった?」
「楽しかったです」
「そうか」
「お義母様とドレスを見ました」
「……ドレス?」
「はい」
エレノアが嬉しそうに頷く。
「これも買っていただきました」
青い花の髪飾りを見せる。
レオンハルトはそれを見て微笑んだ。
「似合っている」
「本当ですか?」
「ああ」
「嬉しいです」
エレノアが少し嬉しそうに続ける。
「好きなドレスを見つけました」
「……そうか」
「淡い青色です」
「君らしいな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
レオンハルトは自然に答えた。
「きっと似合う」
エレノアが嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます、旦那様」
その一言に。
レオンハルトの表情が少し緩んだ。
「……どういたしまして」
◇
その夜。
セシリアがレオンハルトの部屋を訪れた。
「レオンハルト」
「何だ?」
「今日ね、エレノアちゃんが自分でドレスを選んだの」
「そうか」
「『これが好き』って言ったのよ」
「……そうか」
「嬉しかったわ」
「ああ」
「あなたも見たかったでしょう?」
「……見たかった」
セシリアは笑った。
「じゃあ、今度はあなたが一緒に選んであげなさい」
「もちろんだ」
迷いのない返事だった。
セシリアは息子を見る。
「あなた、本当にエレノアちゃんが好きなのね」
「……ああ」
レオンハルトはもう否定しなかった。
「好きだ」
静かに。
けれど、はっきりと。
その言葉を口にした。
◇
その頃。
エレノアは部屋で、今日買ってもらった髪飾りを眺めていた。
「……」
青い花。
綺麗。
そして。
「旦那様、似合っているって言ってくださいました」
思い出すと。
なぜか嬉しくなる。
「……ふふ」
エレノアは小さく笑った。
自分でも気づかないほど自然に。
もう。
以前の人形のような少女ではなかった。
誰かに笑ってもらうためではなく。
自分が嬉しいから、笑う。
そんな当たり前のことを。
エレノアは少しずつ覚え始めていた。
「エレノアちゃん!」
セシリアが弾むような足取りでやってきた。
「今日は予定があるわよ!」
「予定、ですか?」
「ええ!」
エレノアが首を傾げる。
「何をするのですか?」
「秘密!」
「……?」
セシリアは楽しそうに笑った。
その後ろから、レオンハルトがやってくる。
「母上」
「何?」
「昨日言っていた件か?」
「そうよ」
レオンハルトがエレノアを見る。
「今日は母上と出かけてくるといい」
「どこへ行くのでしょう?」
「それは母上に聞け」
「ふふ。行けば分かるわ」
「はい」
エレノアは素直に頷いた。
するとレオンハルトが続ける。
「ただし」
「はい?」
「疲れたらすぐに言うこと」
「はい」
「無理をしない」
「はい」
「昼食はちゃんと食べる」
「はい」
「喉が渇いたら――」
「レオンハルト」
セシリアが呆れた顔をする。
「あなた、もう十分よ」
「……」
「エレノアちゃんは病人じゃないんだから」
「分かっている」
「本当に?」
「……」
レオンハルトは黙った。
エレノアが小さく笑う。
「旦那様」
「何だ?」
「大丈夫です」
「何かあったらすぐに俺へ知らせろ」
「はい」
セシリアがエレノアの手を取る。
「さあ、行きましょう!」
「はい」
二人が屋敷を出ていく。
その姿を見送ったレオンハルトは、しばらく玄関を眺めていた。
「旦那様」
「何だ?」
隣に立つセバスチャンが静かに言う。
「奥様が心配で仕方がないのでございますね」
「……母上がついている、問題ない」
「左様でございますか」
セバスチャンは微笑んだ。
「では、なぜまだ玄関を見ておられるので?」
「……」
レオンハルトは何も答えなかった。
◇
「わぁ……」
馬車が止まった場所を見て、エレノアが目を丸くする。
そこは王都でも有名な仕立て屋だった。
大きなガラス窓の向こうには、色とりどりのドレスが並んでいる。
「ここは?」
「ドレスのお店よ」
「ドレス……」
「そう!」
セシリアは嬉しそうに笑う。
「今日はエレノアちゃんのドレスを見に来たの」
「私の?」
「ええ」
「……どうしてですか?」
「可愛い娘には、可愛い服を着せたいでしょう?」
「……」
エレノアは少しだけ目を伏せた。
「私は……ドレスを着たことがありません」
「じゃあ、今日が初めてね」
セシリアは何でもないことのように言った。
「好きなものを選びましょう」
「私が?」
「もちろん」
その言葉に。
エレノアは少し戸惑った。
◇
店内。
「こちらはいかがでしょう?」
店員が淡い桃色のドレスを持ってくる。
エレノアは鏡の前に立つ。
「まあ……」
セシリアが嬉しそうな声を上げる。
「可愛い!」
エレノアは鏡を見る。
淡い桃色の布。
細かな刺繍。
ふわりと広がるスカート。
「……」
「どう?」
「綺麗です」
「でしょう?」
「でも……」
「何?」
「私が着てもいいのでしょうか」
セシリアの表情が一瞬だけ止まった。
「もちろんよ」
「……」
「エレノアちゃん」
セシリアは優しく彼女の肩に手を置いた。
「あなたのために作るドレスなのよ」
「……私のため」
「そう」
エレノアはもう一度、鏡を見る。
「……不思議です」
「何が?」
「自分のために服を選ぶのは、初めてなので」
セシリアは何も言わず、エレノアの髪を撫でた。
「じゃあ、これからいっぱい選びましょう」
「はい」
◇
次は淡い水色。
その次は白。
薄紫。
若草色。
次々とドレスを試着する。
「これも似合うわ!」
「こちらも素敵!」
「エレノアちゃん、こっちを着てみましょう!」
「はい」
最初は戸惑っていたエレノアも、少しずつ楽しそうになっていった。
「お義母様」
「どうしたの?」
「このドレスは、少し袖が長いです」
「本当ね。じゃあ直してもらいましょう」
「はい」
「こっちは?」
「……好きです」
「!」
セシリアが嬉しそうに笑った。
「もう一度言って?」
「……好きです」
「まあ!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「……?」
エレノアは不思議そうに首を傾げた。
でも。
セシリアが嬉しそうなので。
エレノアも嬉しくなった。
◇
しばらくして。
エレノアは一着のドレスの前で足を止めた。
淡い青。
派手すぎない装飾。
細い腰からふんわりと広がるスカート。
胸元には、小さな花の刺繍。
「……」
エレノアはじっと見つめている。
「気に入った?」
セシリアが尋ねる。
「……はい」
「じゃあ、着てみましょう」
「はい」
着替え終わる。
鏡の前に立つ。
「……」
エレノアは自分の姿を見つめた。
今まで。
自分のことを綺麗だと思ったことなどなかった。
けれど。
「……綺麗」
思わず呟く。
セシリアは微笑んだ。
「そうでしょう?」
「はい」
「このドレスが一番好き?」
「……はい」
「じゃあ、これにしましょう」
セシリアは笑った。
「あなたはもう、誰かに決めてもらわなくていいのよ」
「……」
「自分が好きなものを、自分で選んでいいの」
エレノアは鏡を見る。
そして。
「……はい」
小さく笑った。
「これが好きです」
◇
帰りの馬車。
エレノアは大切そうに小さな袋を抱えていた。
中には髪飾りが入っている。
小さな青い花の髪飾り。
「可愛いわね」
「はい」
「今度、レオンハルトに見せましょうね」
「はい」
エレノアは髪飾りを見ながら笑った。
「旦那様、喜んでくださるでしょうか」
「絶対喜ぶわ」
セシリアは確信していた。
◇
夕方。
屋敷に戻る。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
レオンハルトが玄関まで迎えに来ていた。
エレノアは駆け寄る。
「旦那様」
「どうだった?」
「楽しかったです」
「そうか」
「お義母様とドレスを見ました」
「……ドレス?」
「はい」
エレノアが嬉しそうに頷く。
「これも買っていただきました」
青い花の髪飾りを見せる。
レオンハルトはそれを見て微笑んだ。
「似合っている」
「本当ですか?」
「ああ」
「嬉しいです」
エレノアが少し嬉しそうに続ける。
「好きなドレスを見つけました」
「……そうか」
「淡い青色です」
「君らしいな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
レオンハルトは自然に答えた。
「きっと似合う」
エレノアが嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます、旦那様」
その一言に。
レオンハルトの表情が少し緩んだ。
「……どういたしまして」
◇
その夜。
セシリアがレオンハルトの部屋を訪れた。
「レオンハルト」
「何だ?」
「今日ね、エレノアちゃんが自分でドレスを選んだの」
「そうか」
「『これが好き』って言ったのよ」
「……そうか」
「嬉しかったわ」
「ああ」
「あなたも見たかったでしょう?」
「……見たかった」
セシリアは笑った。
「じゃあ、今度はあなたが一緒に選んであげなさい」
「もちろんだ」
迷いのない返事だった。
セシリアは息子を見る。
「あなた、本当にエレノアちゃんが好きなのね」
「……ああ」
レオンハルトはもう否定しなかった。
「好きだ」
静かに。
けれど、はっきりと。
その言葉を口にした。
◇
その頃。
エレノアは部屋で、今日買ってもらった髪飾りを眺めていた。
「……」
青い花。
綺麗。
そして。
「旦那様、似合っているって言ってくださいました」
思い出すと。
なぜか嬉しくなる。
「……ふふ」
エレノアは小さく笑った。
自分でも気づかないほど自然に。
もう。
以前の人形のような少女ではなかった。
誰かに笑ってもらうためではなく。
自分が嬉しいから、笑う。
そんな当たり前のことを。
エレノアは少しずつ覚え始めていた。

