氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

 エレノアが風邪を引いてから、三日が経った。

「……もう大丈夫です」

 朝食の席で、エレノアはそう宣言した。

「本当に?」

「はい」

「熱は?」

「ありません」

「身体は?」

「元気です」

「食欲は?」

「あります」

 エレノアは即答した。

 レオンハルトはしばらく彼女を見つめる。

「……本当に?」

「はい」

「無理をしていないか?」

「していません」

「庭へ行きたいか?」

「はい」

「……」

 レオンハルトは眉を寄せた。

「今日は休め」

「……」

 エレノアの表情が少し曇る。

「もう治りました」

「念のためだ」

「でも、お花が心配です」

「花は逃げない」

「……」

 エレノアは少し考えた。

「お花も、具合が悪くなることがあります」

「……」

「毎日見てあげないと」

 レオンハルトは黙った。

 どうやら勝てそうにない。

「……少しだけだ」

「はい」

「無理をしたらすぐ戻る」

「はい」

「走るな」

「走りません」

「寒かったら言え」

「はい」

「喉が痛くなったら――」

「公爵様」

「何だ?」

「マリアみたいです」

「……」

エレノアの侍女...

 レオンハルトが固まった。

 エレノアは首を傾げる。

「違いましたか?」

「……違う」

「そうですか」

 エレノアは納得した。

 けれど、レオンハルトは少しだけ耳が赤かった。




 ◇

 庭へ出ると、トーマスがすぐに駆け寄ってきた。

「お嬢様! もうお身体は大丈夫ですか?」

「はい。元気です」

「それはよかった!」

「お花は大丈夫ですか?」

「もちろんです。旦那様が昨日、水をやってくださったので」

「公爵様が?」

 エレノアがレオンハルトを見る。

「……君が気にしていたからな」

「ありがとうございます」

 エレノアは嬉しそうに笑う。

 レオンハルトは目を逸らした。

「では、今日は――」

「お嬢様」

 トーマスが言う。

「こちらの花壇は少し土を柔らかくしたほうがよさそうです」

「私もやります」

「いえ、今日はまだ――」

「大丈夫です」

「駄目だ」

 即座にレオンハルトが口を挟んだ。

「今日は見るだけにしろ」

「……」

 エレノアがスコップを見る。

 そしてレオンハルトを見る。

「……少しだけでは?」

「駄目だ」

「……」

 エレノアがじっとレオンハルトを見る。

 レオンハルトも見返す。

 数秒。

「……わかりました」

 エレノアが諦める。

 トーマスは笑いを堪えた。



 ◇

 その日の午後。

 エレノアが部屋で読書をしていると、マリアがやってきた。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

「ありがとうございます」

 テーブルには紅茶と焼き菓子。

 エレノアは一つ手に取る。

「いただきます」

 ぱくり。

「……美味しいです」

 もう一つ。

 ぱくり。

 さらにもう一つ。

「お嬢様、そんなに召し上がって大丈夫ですか?」

「はい」

「今日はもう少しで夕食ですよ?」

「……」

 エレノアは焼き菓子を見る。

「では、一つだけにします」

「ふふ」

 そこへレオンハルトが入ってきた。

「エレノア」

「はい?」

「何を食べている?」

「焼き菓子です」

「何個食べた?」

「……」

 エレノアは指を折って数える。

「四つです」

「四つ?」

「はい」

「夕食は?」

「食べます」

「なら問題ない」

 レオンハルトはそう言うと、テーブルに新しい皿を置いた。

「これは?」

「果物だ」

「……?」

「食べろ」

「今ですか?」

「ああ」

 エレノアは果物を見る。

「……公爵様」

「何だ?」

「私、食べすぎでしょうか?」

「全然足りない」

「……」

まるでレオンハルトがエレノアに餌付けしているようだ

 マリアが吹き出しそうになる。

「旦那様、お嬢様は最近かなり召し上がっていますよ」

「知っている」

「では、もう少し――」

「もっと食べてもいい」

 エレノアは真剣に考える。

「……では、いただきます」

 レオンハルトは満足そうに頷いた。




 ◇

 数日後。

 エレノアが屋敷の廊下を歩いていると、レオンハルトと鉢合わせした。

「公爵様、どちらへ?」

「執務室だ」

「そうですか」

 エレノアがそのまま通り過ぎようとすると。

「待て」

「はい?」

「どこへ行く?」

「庭です」

「一人で?」

「はい」

「……」

 レオンハルトが考える。

「俺も行く」

「お仕事は?」

「後でいい」

「でも……」

「行くぞ」

 二人で庭へ向かう。

 エレノアは小さく笑っていた。



 ◇

 庭に着く。

「公爵様」

「何だ?」

「あちらの花が咲いています」

「ああ」

「見に行きましょう」

「転ばないように気をつけろ」

「はい」

 エレノアは歩き出す。

 少し進む。

「公爵様」

「何だ?」

「少し疲れました」

「……」

 レオンハルトがすぐに振り返る。

「座るか?」

「はい」

「だから無理をするなと言っただろう」

「無理はしていません」

「なら、なぜ疲れた?」

「歩いたからです」

「……」

 レオンハルトは何も言えなくなった。

 エレノアは不思議そうに彼を見る。

「公爵様?」

「何でもない」

 ベンチに座る。

 エレノアは隣へ腰掛けた。

 しばらくすると。

「……眠いです」

「寝てもいい」

「ここで?」

「俺がいる」

「……」

 エレノアは少し考える。

「では、少しだけ」

 そう言って目を閉じた。

 やがて。

 エレノアの頭が、ゆっくりとレオンハルトの肩へ倒れる。

「……」

 レオンハルトの身体が固まった。

 起こすべきか。

 迷った。

 だが。

 穏やかな寝息が聞こえる。

「……」

 起こせなかった。

 仕方なく、そのまま座っている。

 肩が少し痛くなっても動かない。



 ◇

 しばらくして、エレノアが目を覚ました。

「……」

 目の前にレオンハルトの顔。

「……公爵様」

「起きたか」

「私、寝ていましたか?」

「ああ」

「申し訳ございません」

「謝る必要はない」

「肩、痛くありませんか?」

「別に」

 実際には少し痛かった。

「……ありがとうございます」

「何がだ?」

「寝かせてくださったので」

「それくらい構わない」

 エレノアは微笑む。

「公爵様の肩は、寝心地がよかったです」

「……」

 レオンハルトが黙った。

「また眠くなったら、使ってもいいですか?」

「……」

「公爵様?」

「……好きにしろ」

「はい」

 エレノアは嬉しそうに頷いた。




 ◇

 その夜。

 執務室で仕事をしていたレオンハルトは、ふと手を止めた。

「……」

 今日。

 エレノアは自分の肩で眠った。

 それだけのことなのに。

 思い出すと、妙に心が落ち着く。

 彼女が自分を頼ってくれることが、嬉しい。

 もっと頼ってくれてもいいと思う。

 もっと甘えてもいい。

 欲しいものがあるなら与えればいい。

 食べたいものがあるなら用意すればいい。

 行きたい場所があるなら連れて行けばいい。

 それが当たり前になっていた。

「……」

 レオンハルトは自分でも少し呆れる。

「俺は、いつからこんなに過保護になったんだ」

 答えは出ない。

 けれど。

 嫌ではなかった。

 むしろ――。

 もっと彼女を甘やかしてもいい。

 そんなことを考えている自分に、レオンハルトは小さく笑った。






 翌朝。

「公爵様」

「何だ?」

「昨日、肩を貸していただいたので」

「ああ」

「今日は私が肩を貸します」

「……」

 レオンハルトが固まる。

「公爵様、疲れていませんか?」

「……いや」

「では、どうぞ」

 エレノアが自分の肩を指差す。

 レオンハルトは思わず笑った。

「君にはまだ早い」

「そうですか?」

「ああ」

「残念です」

 エレノアは本当に残念そうな顔をした。

 レオンハルトは、また笑った。

 ――この子を笑わせていたい。

 そんな気持ちが、日に日に強くなっていた。

 そして彼はまだ知らない。

 この先、自分がエレノアのためなら何でもしてしまうほどの、過保護な公爵になることを。