京都駅に着いた頃には、昼を少し過ぎていた。
帰りの電車まで、まだ時間がある。
「お土産、買わなくていいの?」
悠真に聞かれ、葵は駅構内の店を見渡した。
「うーん。職場には買おうかな」
「会社の人に?」
「そう。休みを取ったからね」
「律儀だな」
「普通でしょ」
葵は笑いながら、菓子の並んだ棚へ向かった。
職場用のお土産を選び、家族に渡すものも少しだけ買った。
悠真も実家へのお土産を選んでいる。
「それ、お父さんが好きそうだね」
「そうなんだよ。甘いもの、結構好きでさ」
悠真は箱を手に取った。
「母さんにも、別のを買っていこうかな」
「二つも?」
「いつも世話になってるから」
その言葉に、葵は何も言わず頷いた。
悠真は、もう自分の家族と暮らす日々に馴染み始めている。
以前なら、週末の予定を立てるときも、まず自分たち二人の都合を考えていた。
今は違う。
父親の体調がどうか。
母親が疲れていないか。
家で自分にできることは何か。
悠真の生活の中には、そうしたことが当たり前に組み込まれていた。
それが寂しいわけではない。
むしろ、悠真が大切なものを大切にしていることは、嬉しかった。
ただ、自分がその生活のどこにいるのかは、まだ分からなかった。
「葵?」
呼ばれて顔を上げる。
「どうした?」
「ううん。何でもない」
葵は手にしていた菓子の箱をかごに入れた。
会計を済ませ、二人は改札へ向かった。
ホームに着くと、帰りの電車はまだ来ていなかった。
ベンチに並んで座る。
行きの電車に乗る前は、久しぶりの旅行に浮かれていた。
何を食べようか。
どこへ行こうか。
そんなことばかり考えていた。
今は、帰ったあとのことが頭に浮かんでいる。
明日は日曜日。
洗濯をして、部屋を片づけて、月曜日からの仕事に備える。
悠真も地元に戻れば、家族との暮らしが待っている。
また、離れた場所でそれぞれの日常を過ごすのだ。
「楽しかったね」
葵が言った。
「うん。楽しかった」
「来られてよかった」
「本当に」
悠真は少し笑ってから、足元に置いた荷物を見た。
「もっと早く来ればよかったな」
その言葉を、葵は昨日も聞いた気がした。
「そうだね」
「でも、今だったからよかったのかもしれない」
葵は悠真の顔を見た。
「今だったから?」
「うん。昔だったら、旅行に来たことだけで満足してたと思う」
悠真は少し考えながら話した。
「楽しかった、また来ようって。それで終わってたんじゃないかな」
「……そうかも」
「でも、今はそうじゃないだろ」
葵はすぐには答えられなかった。
確かに、今の自分は違う。
ただ楽しいだけでは終われない。
この時間が大切だからこそ、これからのことを考えてしまう。
「俺、昨日から考えてたんだ」
悠真が言った。
「何を?」
「帰ったら、またいつもの生活に戻るだろ」
「うん」
「その生活の中で、俺たちがどうやって一緒にいられるのかって」
葵は膝の上で手を重ねた。
ずっと、考えないようにしていたことだった。
「電話したり、休みを合わせたり。会おうと思えば会える」
悠真は続けた。
「でも、それを何年も続けていくのかって考えると……正直、分からないんだ」
葵は窓の向こうを見た。
ホームに電車が入ってくる。
風が吹き、髪が頬にかかった。
「私も、分からない」
そう答えるのが精いっぱいだった。
悠真は頷いた。
「うん。今すぐ答えを出してほしいわけじゃないんだ」
「分かってる」
「ただ、楽しかったから、このままでいいって思うのも違う気がして」
その言葉に、葵の胸が痛んだ。
楽しかった。
もう少し一緒にいたかった。
できることなら、次の旅行の約束もしたかった。
けれど、今日の楽しさだけで、二人の未来が決まるわけではない。
「……うん」
葵は小さく頷いた。
電車がホームに止まり、ドアが開く。
二人は立ち上がった。
乗り込む前に、悠真が言った。
「また、ゆっくり話そう」
「うん」
「今度は、ちゃんとこれからのこと」
「うん。私も話したい」
それだけ約束して、二人は別々の車両へ向かった。
帰りの電車の中で、葵は窓の外を眺めていた。
京都で撮った写真を見返す。
並んで歩く二人。
食事を前に笑う自分。
何気なく撮った街並み。
どの写真にも、楽しかった時間が残っている。
この旅行を、いつか寂しい思い出として振り返る日が来るのだろうか。
そう考えて、葵はスマートフォンを伏せた。
今は、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、あの時間をなかったことにはしたくない、ということだった。
京都へ行こうと決めたとき、葵は昔の約束を一つ叶えたいと思っていた。
でも、帰りの電車に揺られながら思う。
叶えたかったのは、旅行だけではなかったのかもしれない。
ずっと後回しにしてきた二人の気持ちを、今度こそ確かめたかったのだ。
それでも、答えはまだ出ていない。
窓の外の景色が、少しずつ見慣れたものに変わっていく。
葵はスマートフォンを手に取り、悠真にメッセージを送った。
『今日はありがとう。京都、本当に楽しかった』
しばらくして返事が来た。
『俺も。誘ってくれてありがとう』
葵はその文面を読み、短く返信した。
『また話そうね』
送信してから、スマートフォンをバッグにしまった。
帰る場所は、それぞれにある。
今の二人には、それが当たり前だった。
けれど、いつか同じ場所を帰る場所にできるのか。
それとも、別々の場所で生きていくのか。
その答えから、もう逃げることはできない。
葵は窓の外を見つめたまま、静かに息を吐いた。
帰りの電車まで、まだ時間がある。
「お土産、買わなくていいの?」
悠真に聞かれ、葵は駅構内の店を見渡した。
「うーん。職場には買おうかな」
「会社の人に?」
「そう。休みを取ったからね」
「律儀だな」
「普通でしょ」
葵は笑いながら、菓子の並んだ棚へ向かった。
職場用のお土産を選び、家族に渡すものも少しだけ買った。
悠真も実家へのお土産を選んでいる。
「それ、お父さんが好きそうだね」
「そうなんだよ。甘いもの、結構好きでさ」
悠真は箱を手に取った。
「母さんにも、別のを買っていこうかな」
「二つも?」
「いつも世話になってるから」
その言葉に、葵は何も言わず頷いた。
悠真は、もう自分の家族と暮らす日々に馴染み始めている。
以前なら、週末の予定を立てるときも、まず自分たち二人の都合を考えていた。
今は違う。
父親の体調がどうか。
母親が疲れていないか。
家で自分にできることは何か。
悠真の生活の中には、そうしたことが当たり前に組み込まれていた。
それが寂しいわけではない。
むしろ、悠真が大切なものを大切にしていることは、嬉しかった。
ただ、自分がその生活のどこにいるのかは、まだ分からなかった。
「葵?」
呼ばれて顔を上げる。
「どうした?」
「ううん。何でもない」
葵は手にしていた菓子の箱をかごに入れた。
会計を済ませ、二人は改札へ向かった。
ホームに着くと、帰りの電車はまだ来ていなかった。
ベンチに並んで座る。
行きの電車に乗る前は、久しぶりの旅行に浮かれていた。
何を食べようか。
どこへ行こうか。
そんなことばかり考えていた。
今は、帰ったあとのことが頭に浮かんでいる。
明日は日曜日。
洗濯をして、部屋を片づけて、月曜日からの仕事に備える。
悠真も地元に戻れば、家族との暮らしが待っている。
また、離れた場所でそれぞれの日常を過ごすのだ。
「楽しかったね」
葵が言った。
「うん。楽しかった」
「来られてよかった」
「本当に」
悠真は少し笑ってから、足元に置いた荷物を見た。
「もっと早く来ればよかったな」
その言葉を、葵は昨日も聞いた気がした。
「そうだね」
「でも、今だったからよかったのかもしれない」
葵は悠真の顔を見た。
「今だったから?」
「うん。昔だったら、旅行に来たことだけで満足してたと思う」
悠真は少し考えながら話した。
「楽しかった、また来ようって。それで終わってたんじゃないかな」
「……そうかも」
「でも、今はそうじゃないだろ」
葵はすぐには答えられなかった。
確かに、今の自分は違う。
ただ楽しいだけでは終われない。
この時間が大切だからこそ、これからのことを考えてしまう。
「俺、昨日から考えてたんだ」
悠真が言った。
「何を?」
「帰ったら、またいつもの生活に戻るだろ」
「うん」
「その生活の中で、俺たちがどうやって一緒にいられるのかって」
葵は膝の上で手を重ねた。
ずっと、考えないようにしていたことだった。
「電話したり、休みを合わせたり。会おうと思えば会える」
悠真は続けた。
「でも、それを何年も続けていくのかって考えると……正直、分からないんだ」
葵は窓の向こうを見た。
ホームに電車が入ってくる。
風が吹き、髪が頬にかかった。
「私も、分からない」
そう答えるのが精いっぱいだった。
悠真は頷いた。
「うん。今すぐ答えを出してほしいわけじゃないんだ」
「分かってる」
「ただ、楽しかったから、このままでいいって思うのも違う気がして」
その言葉に、葵の胸が痛んだ。
楽しかった。
もう少し一緒にいたかった。
できることなら、次の旅行の約束もしたかった。
けれど、今日の楽しさだけで、二人の未来が決まるわけではない。
「……うん」
葵は小さく頷いた。
電車がホームに止まり、ドアが開く。
二人は立ち上がった。
乗り込む前に、悠真が言った。
「また、ゆっくり話そう」
「うん」
「今度は、ちゃんとこれからのこと」
「うん。私も話したい」
それだけ約束して、二人は別々の車両へ向かった。
帰りの電車の中で、葵は窓の外を眺めていた。
京都で撮った写真を見返す。
並んで歩く二人。
食事を前に笑う自分。
何気なく撮った街並み。
どの写真にも、楽しかった時間が残っている。
この旅行を、いつか寂しい思い出として振り返る日が来るのだろうか。
そう考えて、葵はスマートフォンを伏せた。
今は、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、あの時間をなかったことにはしたくない、ということだった。
京都へ行こうと決めたとき、葵は昔の約束を一つ叶えたいと思っていた。
でも、帰りの電車に揺られながら思う。
叶えたかったのは、旅行だけではなかったのかもしれない。
ずっと後回しにしてきた二人の気持ちを、今度こそ確かめたかったのだ。
それでも、答えはまだ出ていない。
窓の外の景色が、少しずつ見慣れたものに変わっていく。
葵はスマートフォンを手に取り、悠真にメッセージを送った。
『今日はありがとう。京都、本当に楽しかった』
しばらくして返事が来た。
『俺も。誘ってくれてありがとう』
葵はその文面を読み、短く返信した。
『また話そうね』
送信してから、スマートフォンをバッグにしまった。
帰る場所は、それぞれにある。
今の二人には、それが当たり前だった。
けれど、いつか同じ場所を帰る場所にできるのか。
それとも、別々の場所で生きていくのか。
その答えから、もう逃げることはできない。
葵は窓の外を見つめたまま、静かに息を吐いた。



