月曜日の朝。
葵はいつもより少し早く会社に着いた。
デスクの上には、週末に届いた資料が積まれている。
パソコンを立ち上げ、メールを確認する。
いつもの朝。
なのに、何かが少し違っていた。
昨日、悠真と会ったからだ。
河川敷で話したこと。
駅で別れたときのこと。
帰り道に考えたこと。
どれも頭の片隅に残っている。
けれど、それを仕事に持ち込もうとは思わなかった。
「高橋さん、おはようございます」
「おはよう」
後輩に声をかけられ、葵はいつものように笑った。
「昨日、休みだったのに連絡しちゃってすみません」
「大丈夫。確認したよ」
「助かります」
後輩が離れていく。
葵は画面に視線を戻した。
以前なら、ここから一気に仕事に入り込んでいた。
昼休みも短く済ませて、少しでも早く終わらせようとする。
そうすれば、帰ったあとに悠真と電話ができる。
そんなふうに、一日のどこかに悠真との時間を置いていた。
それが当たり前だった。
でも今は違う。
仕事は仕事。
自分の時間は自分の時間。
悠真との時間は、悠真との時間。
全部を一つにしなくてもいい。
そんなことを、最近少しずつ覚えてきた。
昼休み。
葵は会社を出て、近くの小さな定食屋に入った。
一人で昼食を取る。
以前なら、スマートフォンを見ながら急いで食べていた。
今日は違った。
焼き魚を一口食べて、味噌汁を飲む。
それだけのことなのに、妙に落ち着いた。
食事を終えて店を出ると、スマートフォンが震えた。
悠真からだった。
『昨日はありがとう』
短いメッセージ。
葵は少し考えてから返信した。
『こちらこそ。久しぶりにゆっくり話せてよかった』
すぐに既読がついた。
『俺も』
そこで会話は終わった。
以前なら、そこから何か話題を探していたかもしれない。
今日はスマートフォンをポケットにしまった。
それでいいと思った。
無理に続けなくてもいい。
返事が短いからといって、不安になる必要もない。
そう思えるようになった自分に、葵は少し驚いていた。
午後の仕事を終え、定時を少し過ぎたところで会社を出る。
空はまだ明るかった。
駅へ向かう途中、ふと本屋が目に入った。
葵は足を止める。
以前なら、そのまま帰っていただろう。
今日は店に入った。
仕事とは関係のない小説を一冊手に取る。
表紙を眺めて、裏返す。
あらすじを読んでみる。
買うかどうか迷って、結局レジへ向かった。
家に帰る。
簡単な夕食を作る。
洗濯物を畳む。
それから買ったばかりの本を開く。
静かな夜だった。
悠真から電話が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
以前なら、それだけで落ち着かなかった。
今は、本のページをめくることができる。
そのことが、少し嬉しかった。
午後九時を過ぎた頃。
スマートフォンが震えた。
『起きてる?』
悠真からだった。
『起きてるよ』
送ると、すぐに着信があった。
「もしもし」
『今、大丈夫?』
「うん」
『昨日さ』
「うん」
『帰ってから、ずっと考えてた』
葵は本を閉じた。
「何を?」
『俺たちのこと』
やっぱり。
そう思った。
「私も考えてた」
『……そっか』
少し沈黙があった。
『葵は、どう思った?』
すぐには答えられなかった。
でも、以前のように怖くはなかった。
「まだ、分からない」
『うん』
「でも、前とは少し違う」
『何が?』
「一緒にいるか、別れるか。それだけで考えなくなった」
電話の向こうで、悠真が黙る。
「私は、自分がどう生きたいのかも考えたい」
『……うん』
「悠真と一緒にいたいかどうかを決める前に、自分がどういう毎日を送りたいのか、ちゃんと考えたい」
『俺も、それが必要だと思う』
その言葉を聞いて、葵は少しだけ安心した。
「ねえ、悠真」
『ん?』
「私たち、今までずっと一緒にいることを前提に考えてたよね」
『そうだな』
「だから、一緒にいるためにはどうするかばかり考えてた」
『……うん』
「でも今は、一緒にいることを前提にしなくても、お互いのことを考えられる気がする」
悠真が小さく息を吐いた。
『それって、少し寂しいな』
「うん」
葵も笑った。
「私も、ちょっと寂しい」
それでも。
その寂しさから逃げるために、一緒にいるのは違うと思った。
電話を切ったあと、葵はしばらく天井を見上げていた。
答えは出ていない。
たぶん、すぐには出ない。
それでも。
自分の時間を取り戻したからこそ、見えてきたものがある。
悠真を失うことが怖い。
それは、今も変わらない。
でも。
悠真を失わないために、自分を失う必要はない。
そのことだけは、もう分かっていた。
葵は閉じた本をもう一度開いた。
今夜は、もう少しだけ自分の時間を過ごそう。
そう思った。
葵はいつもより少し早く会社に着いた。
デスクの上には、週末に届いた資料が積まれている。
パソコンを立ち上げ、メールを確認する。
いつもの朝。
なのに、何かが少し違っていた。
昨日、悠真と会ったからだ。
河川敷で話したこと。
駅で別れたときのこと。
帰り道に考えたこと。
どれも頭の片隅に残っている。
けれど、それを仕事に持ち込もうとは思わなかった。
「高橋さん、おはようございます」
「おはよう」
後輩に声をかけられ、葵はいつものように笑った。
「昨日、休みだったのに連絡しちゃってすみません」
「大丈夫。確認したよ」
「助かります」
後輩が離れていく。
葵は画面に視線を戻した。
以前なら、ここから一気に仕事に入り込んでいた。
昼休みも短く済ませて、少しでも早く終わらせようとする。
そうすれば、帰ったあとに悠真と電話ができる。
そんなふうに、一日のどこかに悠真との時間を置いていた。
それが当たり前だった。
でも今は違う。
仕事は仕事。
自分の時間は自分の時間。
悠真との時間は、悠真との時間。
全部を一つにしなくてもいい。
そんなことを、最近少しずつ覚えてきた。
昼休み。
葵は会社を出て、近くの小さな定食屋に入った。
一人で昼食を取る。
以前なら、スマートフォンを見ながら急いで食べていた。
今日は違った。
焼き魚を一口食べて、味噌汁を飲む。
それだけのことなのに、妙に落ち着いた。
食事を終えて店を出ると、スマートフォンが震えた。
悠真からだった。
『昨日はありがとう』
短いメッセージ。
葵は少し考えてから返信した。
『こちらこそ。久しぶりにゆっくり話せてよかった』
すぐに既読がついた。
『俺も』
そこで会話は終わった。
以前なら、そこから何か話題を探していたかもしれない。
今日はスマートフォンをポケットにしまった。
それでいいと思った。
無理に続けなくてもいい。
返事が短いからといって、不安になる必要もない。
そう思えるようになった自分に、葵は少し驚いていた。
午後の仕事を終え、定時を少し過ぎたところで会社を出る。
空はまだ明るかった。
駅へ向かう途中、ふと本屋が目に入った。
葵は足を止める。
以前なら、そのまま帰っていただろう。
今日は店に入った。
仕事とは関係のない小説を一冊手に取る。
表紙を眺めて、裏返す。
あらすじを読んでみる。
買うかどうか迷って、結局レジへ向かった。
家に帰る。
簡単な夕食を作る。
洗濯物を畳む。
それから買ったばかりの本を開く。
静かな夜だった。
悠真から電話が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
以前なら、それだけで落ち着かなかった。
今は、本のページをめくることができる。
そのことが、少し嬉しかった。
午後九時を過ぎた頃。
スマートフォンが震えた。
『起きてる?』
悠真からだった。
『起きてるよ』
送ると、すぐに着信があった。
「もしもし」
『今、大丈夫?』
「うん」
『昨日さ』
「うん」
『帰ってから、ずっと考えてた』
葵は本を閉じた。
「何を?」
『俺たちのこと』
やっぱり。
そう思った。
「私も考えてた」
『……そっか』
少し沈黙があった。
『葵は、どう思った?』
すぐには答えられなかった。
でも、以前のように怖くはなかった。
「まだ、分からない」
『うん』
「でも、前とは少し違う」
『何が?』
「一緒にいるか、別れるか。それだけで考えなくなった」
電話の向こうで、悠真が黙る。
「私は、自分がどう生きたいのかも考えたい」
『……うん』
「悠真と一緒にいたいかどうかを決める前に、自分がどういう毎日を送りたいのか、ちゃんと考えたい」
『俺も、それが必要だと思う』
その言葉を聞いて、葵は少しだけ安心した。
「ねえ、悠真」
『ん?』
「私たち、今までずっと一緒にいることを前提に考えてたよね」
『そうだな』
「だから、一緒にいるためにはどうするかばかり考えてた」
『……うん』
「でも今は、一緒にいることを前提にしなくても、お互いのことを考えられる気がする」
悠真が小さく息を吐いた。
『それって、少し寂しいな』
「うん」
葵も笑った。
「私も、ちょっと寂しい」
それでも。
その寂しさから逃げるために、一緒にいるのは違うと思った。
電話を切ったあと、葵はしばらく天井を見上げていた。
答えは出ていない。
たぶん、すぐには出ない。
それでも。
自分の時間を取り戻したからこそ、見えてきたものがある。
悠真を失うことが怖い。
それは、今も変わらない。
でも。
悠真を失わないために、自分を失う必要はない。
そのことだけは、もう分かっていた。
葵は閉じた本をもう一度開いた。
今夜は、もう少しだけ自分の時間を過ごそう。
そう思った。



