河川敷を歩いたあと、二人は近くのベンチに座った。
川の流れる音が、静かに聞こえている。
葵は隣に座る悠真を見た。
久しぶりに、こんなふうに何もせず一緒にいる。
付き合っていた頃なら、珍しくもなかった時間。
けれど今は、その何気なさが少し特別に感じられた。
「寒くない?」
悠真が聞いた。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
そう答えたものの、少しだけ肩をすくめる。
悠真はそれを見て笑った。
「やっぱり寒いんじゃん」
「……ちょっとだけ」
「昔から我慢するよな」
その言葉に、葵は少しだけ黙った。
「昔から?」
「うん」
悠真が川を見ながら言う。
「寒くても、疲れてても、大丈夫って言う」
「そうだった?」
「そうだったよ」
葵は苦笑した。
「悠真のほうが、よく見てたんだね」
「……見てたつもりだった」
その言葉に、葵は悠真を見る。
悠真は少し考えてから続けた。
「でも、見てるだけだったのかもしれない」
「どういうこと?」
「葵が忙しいって分かってたから。疲れてるんだろうなって思って、あんまり言わないようにしてた」
「何を?」
「寂しいとか。会いたいとか」
胸の奥が、少し痛んだ。
「……言ってくれればよかったのに」
「葵も言わなかっただろ」
返す言葉がなかった。
確かに、その通りだった。
自分だって、仕事が忙しいことを理由に、寂しいとは言わなかった。
会いたいと言われれば嬉しかった。
でも、自分からは言わなかった。
忙しいから。
疲れているから。
会えなくても分かってくれると思っていた。
「私たち、似てたのかもね」
葵が言った。
「何が?」
「言いたいことを言わないところ」
悠真が笑う。
「それはそうかも」
二人で笑った。
でも、笑ったあとに残った沈黙は、以前とは少し違っていた。
今までなら、その沈黙の中に後悔があった。
もっと話していれば。
もっと会っていれば。
もっと大切にしていれば。
そう思っていた。
けれど今は。
過去を責めるよりも、これから何を話せるのかを考えたい。
そんな気持ちになっていた。
「悠真」
「うん?」
「実家に戻ってから、どう?」
葵が尋ねると、悠真は少し考えた。
「忙しいよ」
「お父さんは?」
「前よりは落ち着いてる。でも、まだ通院は続いてる」
「そっか」
「母さんも、少し疲れてるみたいで」
悠真は川の向こうを見る。
「だから、戻ってきてよかったと思ってる」
「うん」
葵は頷いた。
四年間付き合っていた。
それでも、悠真が実家でどんな毎日を送っているのか、詳しくは知らなかった。
電話で聞くことはあった。
でも、詳しく聞こうとはしなかった。
自分の仕事の話をして、悠真の話を少し聞いて。
それで終わることが多かった。
今になって思う。
自分は、悠真の人生をどれくらい知っていたのだろう。
「葵は?」
「私?」
「最近、どう?」
葵は少し笑った。
「普通だよ」
「仕事は?」
「相変わらず」
「残業は?」
「……減った」
「本当に?」
「本当」
悠真が安心したように笑う。
「よかった」
「どうして?」
「葵、無理するから」
その言葉が、胸に残った。
自分のことを心配してくれている。
まだ、こんなふうに。
「私ね」
葵は川を見ながら言った。
「最近、仕事を早く切り上げるようになった」
「うん」
「一人で映画を観たり、本を読んだりもする」
「いいじゃん」
「最初は、変な感じだった」
「何が?」
「一人で時間を使うこと」
悠真は黙って聞いている。
「でも、意外と楽しいんだよね」
「そうだと思う」
「だから……」
葵は少し迷った。
「悠真がいなくても大丈夫なのかもしれないって、最近思うようになった」
言葉にすると、思っていた以上に寂しかった。
けれど、それは悠真を必要としていないという意味ではない。
「でも」
葵は続けた。
「大丈夫だから、別れたいってことでもない」
悠真が葵を見る。
「うん」
「そこが、自分でもよく分からなくて」
「俺も」
悠真が答えた。
「俺も、葵がいなくても生きていけると思う」
その言葉に、葵の胸がきゅっと縮まった。
「でも、いなくても大丈夫ってことと、いなくてもいいってことは、違うよな」
葵はゆっくり頷いた。
「……うん」
その違いが、今の二人には大きかった。
以前は、「必要だから一緒にいる」と思っていた。
でも今は違う。
一人でも生きていける。
それでも、一緒にいたいと思えるのか。
そこに二人の答えがあるのかもしれない。
悠真が時計を見る。
「そろそろ行こうか」
「うん」
二人はベンチから立ち上がった。
帰り道。
駅へ向かう途中で、悠真が足を止めた。
「葵」
「なに?」
「今日、会えてよかった」
「私も」
それだけだった。
でも。
以前のように「また会おう」と約束する必要はなかった。
次に会うことが決まっていなくても。
今日の時間が嘘になるわけではない。
駅の改札前で、二人は向かい合った。
「じゃあ」
「うん」
「気をつけて帰って」
「悠真も」
悠真が一歩離れる。
葵も一歩下がる。
それでも、どちらもすぐには背を向けなかった。
「……また連絡する」
悠真が言った。
「うん」
悠真が歩いていく。
その背中を見ながら、葵は思った。
好き。
まだ、好きだ。
でも。
それだけでは、もう答えにならない。
好きだからこそ。
相手の人生も、自分の人生も、ちゃんと考えたい。
葵は悠真の姿が見えなくなってから、ゆっくり駅へ向かった。
今日、初めて分かったことがある。
四年間一緒にいたからといって、相手のすべてを知っているわけではない。
そして。
知らなかった時間があったからといって、四年間が嘘になるわけでもない。
二人にはまだ、知らないことがたくさんある。
それを知ろうとするのか。
それとも、それぞれの人生へ戻るのか。
答えは、まだ出ていなかった。
川の流れる音が、静かに聞こえている。
葵は隣に座る悠真を見た。
久しぶりに、こんなふうに何もせず一緒にいる。
付き合っていた頃なら、珍しくもなかった時間。
けれど今は、その何気なさが少し特別に感じられた。
「寒くない?」
悠真が聞いた。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
そう答えたものの、少しだけ肩をすくめる。
悠真はそれを見て笑った。
「やっぱり寒いんじゃん」
「……ちょっとだけ」
「昔から我慢するよな」
その言葉に、葵は少しだけ黙った。
「昔から?」
「うん」
悠真が川を見ながら言う。
「寒くても、疲れてても、大丈夫って言う」
「そうだった?」
「そうだったよ」
葵は苦笑した。
「悠真のほうが、よく見てたんだね」
「……見てたつもりだった」
その言葉に、葵は悠真を見る。
悠真は少し考えてから続けた。
「でも、見てるだけだったのかもしれない」
「どういうこと?」
「葵が忙しいって分かってたから。疲れてるんだろうなって思って、あんまり言わないようにしてた」
「何を?」
「寂しいとか。会いたいとか」
胸の奥が、少し痛んだ。
「……言ってくれればよかったのに」
「葵も言わなかっただろ」
返す言葉がなかった。
確かに、その通りだった。
自分だって、仕事が忙しいことを理由に、寂しいとは言わなかった。
会いたいと言われれば嬉しかった。
でも、自分からは言わなかった。
忙しいから。
疲れているから。
会えなくても分かってくれると思っていた。
「私たち、似てたのかもね」
葵が言った。
「何が?」
「言いたいことを言わないところ」
悠真が笑う。
「それはそうかも」
二人で笑った。
でも、笑ったあとに残った沈黙は、以前とは少し違っていた。
今までなら、その沈黙の中に後悔があった。
もっと話していれば。
もっと会っていれば。
もっと大切にしていれば。
そう思っていた。
けれど今は。
過去を責めるよりも、これから何を話せるのかを考えたい。
そんな気持ちになっていた。
「悠真」
「うん?」
「実家に戻ってから、どう?」
葵が尋ねると、悠真は少し考えた。
「忙しいよ」
「お父さんは?」
「前よりは落ち着いてる。でも、まだ通院は続いてる」
「そっか」
「母さんも、少し疲れてるみたいで」
悠真は川の向こうを見る。
「だから、戻ってきてよかったと思ってる」
「うん」
葵は頷いた。
四年間付き合っていた。
それでも、悠真が実家でどんな毎日を送っているのか、詳しくは知らなかった。
電話で聞くことはあった。
でも、詳しく聞こうとはしなかった。
自分の仕事の話をして、悠真の話を少し聞いて。
それで終わることが多かった。
今になって思う。
自分は、悠真の人生をどれくらい知っていたのだろう。
「葵は?」
「私?」
「最近、どう?」
葵は少し笑った。
「普通だよ」
「仕事は?」
「相変わらず」
「残業は?」
「……減った」
「本当に?」
「本当」
悠真が安心したように笑う。
「よかった」
「どうして?」
「葵、無理するから」
その言葉が、胸に残った。
自分のことを心配してくれている。
まだ、こんなふうに。
「私ね」
葵は川を見ながら言った。
「最近、仕事を早く切り上げるようになった」
「うん」
「一人で映画を観たり、本を読んだりもする」
「いいじゃん」
「最初は、変な感じだった」
「何が?」
「一人で時間を使うこと」
悠真は黙って聞いている。
「でも、意外と楽しいんだよね」
「そうだと思う」
「だから……」
葵は少し迷った。
「悠真がいなくても大丈夫なのかもしれないって、最近思うようになった」
言葉にすると、思っていた以上に寂しかった。
けれど、それは悠真を必要としていないという意味ではない。
「でも」
葵は続けた。
「大丈夫だから、別れたいってことでもない」
悠真が葵を見る。
「うん」
「そこが、自分でもよく分からなくて」
「俺も」
悠真が答えた。
「俺も、葵がいなくても生きていけると思う」
その言葉に、葵の胸がきゅっと縮まった。
「でも、いなくても大丈夫ってことと、いなくてもいいってことは、違うよな」
葵はゆっくり頷いた。
「……うん」
その違いが、今の二人には大きかった。
以前は、「必要だから一緒にいる」と思っていた。
でも今は違う。
一人でも生きていける。
それでも、一緒にいたいと思えるのか。
そこに二人の答えがあるのかもしれない。
悠真が時計を見る。
「そろそろ行こうか」
「うん」
二人はベンチから立ち上がった。
帰り道。
駅へ向かう途中で、悠真が足を止めた。
「葵」
「なに?」
「今日、会えてよかった」
「私も」
それだけだった。
でも。
以前のように「また会おう」と約束する必要はなかった。
次に会うことが決まっていなくても。
今日の時間が嘘になるわけではない。
駅の改札前で、二人は向かい合った。
「じゃあ」
「うん」
「気をつけて帰って」
「悠真も」
悠真が一歩離れる。
葵も一歩下がる。
それでも、どちらもすぐには背を向けなかった。
「……また連絡する」
悠真が言った。
「うん」
悠真が歩いていく。
その背中を見ながら、葵は思った。
好き。
まだ、好きだ。
でも。
それだけでは、もう答えにならない。
好きだからこそ。
相手の人生も、自分の人生も、ちゃんと考えたい。
葵は悠真の姿が見えなくなってから、ゆっくり駅へ向かった。
今日、初めて分かったことがある。
四年間一緒にいたからといって、相手のすべてを知っているわけではない。
そして。
知らなかった時間があったからといって、四年間が嘘になるわけでもない。
二人にはまだ、知らないことがたくさんある。
それを知ろうとするのか。
それとも、それぞれの人生へ戻るのか。
答えは、まだ出ていなかった。



