木曜日の夜。
葵は仕事を終えて、駅へ向かっていた。
今週も、気づけば半分以上が過ぎている。
月曜日から続いていた忙しさも、ようやく少し落ち着いてきた。
スマートフォンを見る。
悠真からのメッセージはない。
それを確認して、葵はスマートフォンを鞄にしまった。
以前なら、少し寂しく感じていたかもしれない。
でも今は、そうでもなかった。
悠真には悠真の生活がある。
自分にも自分の生活がある。
それが自然なのだと思えるようになっていた。
駅のホームで電車を待つ。
電車が来る。
人の波に押されるように車内へ入り、つり革につかまった。
そのときだった。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
悠真からだった。
『今、少し話せる?』
葵は一瞬、指を止めた。
何だろう。
そう思った。
でも、すぐに返信する。
『うん。大丈夫』
既読がつく。
少しして、
『電話してもいい?』
と届いた。
葵は窓の外を見る。
電車はゆっくりと走り出していた。
『今、電車だから、家に着いたらでもいい?』
『分かった』
それだけだった。
家に着く。
鞄を置き、コートを脱ぐ。
いつもなら夕食の準備をする時間。
けれど今日は、先にスマートフォンを手に取った。
少しして、着信が入る。
「もしもし」
『葵?』
「うん」
聞き慣れた声。
それだけで、少し安心する。
「どうしたの?」
『……うん』
悠真が言葉を探しているのが分かった。
葵は黙って待った。
以前の自分なら、沈黙に耐えられなかった。
何か言わなきゃ。
そう思って、自分から話していた。
今は違う。
悠真が話すまで待てる。
『この前の海さ』
「うん」
『楽しかったよな』
「うん。楽しかった」
『俺も』
そこで、また沈黙が落ちる。
葵は何も言わなかった。
しばらくして、悠真が口を開く。
『だからこそ、ちゃんと話したいと思って』
葵の胸が、少しだけざわついた。
「何を?」
悠真はすぐには答えなかった。
『俺たちのこと』
その言葉に、葵は息を止めた。
やっぱり。
いつか、この話をする日が来ると思っていた。
でも、それが今日だとは思っていなかった。
「……うん」
それだけ答える。
『葵は、今どう思ってる?』
「どうって?」
『俺たちのこと』
葵は窓の外を見る。
夜の街。
車のライト。
遠くに見えるマンションの明かり。
昨日までと何も変わらない景色。
なのに、自分の中では何かが変わり始めている。
「私……」
言葉を探す。
「悠真のこと、今でも大切だよ」
電話の向こうで、悠真が小さく息を吐いた。
『うん』
「海も楽しかった」
『うん』
「また一緒に行きたいって思った」
そこまで言って、葵は少しだけ笑った。
「でも、それと……これからどうするかは、別なのかもしれないって思ってる」
言ってしまった。
けれど、不思議と怖くなかった。
以前なら、こんな言葉を口にすることさえできなかった。
悠真も、しばらく黙っていた。
『俺も、同じこと考えてた』
「……そっか」
『葵を嫌いになったわけじゃない』
「うん」
『今でも好きだと思う』
葵は目を閉じた。
胸が痛い。
でも、その痛みから逃げたいとは思わなかった。
『だから、余計に分からなくなってる』
悠真の声が少し揺れる。
『好きなのに、このままでいいのかなって』
葵は何も言えなかった。
それは、自分も同じだったから。
好き。
大切。
会えば嬉しい。
一緒にいると楽しい。
それでも、未来を同じ形で描けるとは限らない。
「悠真」
『うん』
「今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないかな」
電話の向こうが静かになる。
「私も、ちゃんと考えたい」
『……うん』
「悠真も考えて」
『分かった』
それだけだった。
電話は、しばらくして終わった。
通話時間は、二十分ほど。
けれど、葵にはもっと長く感じられた。
スマートフォンをテーブルに置く。
静かな部屋。
時計の音だけが聞こえる。
葵はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けた。
夕食を作る。
いつもと同じ夜。
でも、心の中には一つの問いが残っている。
私は、悠真とこれからも一緒にいたいのだろうか。
それとも。
悠真との四年間を大切にしたまま、別の道を選びたいのだろうか。
答えはまだ出ない。
ただ一つ分かっていることがある。
もう、見ないふりはしない。
仕事を理由に。
忙しさを理由に。
「いつか」を理由に。
大切なことを後回しにはしない。
葵は包丁を置き、窓の外を見た。
夜空には、細い月が浮かんでいた。
あの日、海で見た空とは違う。
それでも空は、どこかでつながっている。
悠真も今、同じ空を見ているのだろうか。
そう思った。
そして初めて、葵は自分自身に問いかけた。
──私は、どうしたい?
その答えを探す時間が、始まった。
葵は仕事を終えて、駅へ向かっていた。
今週も、気づけば半分以上が過ぎている。
月曜日から続いていた忙しさも、ようやく少し落ち着いてきた。
スマートフォンを見る。
悠真からのメッセージはない。
それを確認して、葵はスマートフォンを鞄にしまった。
以前なら、少し寂しく感じていたかもしれない。
でも今は、そうでもなかった。
悠真には悠真の生活がある。
自分にも自分の生活がある。
それが自然なのだと思えるようになっていた。
駅のホームで電車を待つ。
電車が来る。
人の波に押されるように車内へ入り、つり革につかまった。
そのときだった。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
悠真からだった。
『今、少し話せる?』
葵は一瞬、指を止めた。
何だろう。
そう思った。
でも、すぐに返信する。
『うん。大丈夫』
既読がつく。
少しして、
『電話してもいい?』
と届いた。
葵は窓の外を見る。
電車はゆっくりと走り出していた。
『今、電車だから、家に着いたらでもいい?』
『分かった』
それだけだった。
家に着く。
鞄を置き、コートを脱ぐ。
いつもなら夕食の準備をする時間。
けれど今日は、先にスマートフォンを手に取った。
少しして、着信が入る。
「もしもし」
『葵?』
「うん」
聞き慣れた声。
それだけで、少し安心する。
「どうしたの?」
『……うん』
悠真が言葉を探しているのが分かった。
葵は黙って待った。
以前の自分なら、沈黙に耐えられなかった。
何か言わなきゃ。
そう思って、自分から話していた。
今は違う。
悠真が話すまで待てる。
『この前の海さ』
「うん」
『楽しかったよな』
「うん。楽しかった」
『俺も』
そこで、また沈黙が落ちる。
葵は何も言わなかった。
しばらくして、悠真が口を開く。
『だからこそ、ちゃんと話したいと思って』
葵の胸が、少しだけざわついた。
「何を?」
悠真はすぐには答えなかった。
『俺たちのこと』
その言葉に、葵は息を止めた。
やっぱり。
いつか、この話をする日が来ると思っていた。
でも、それが今日だとは思っていなかった。
「……うん」
それだけ答える。
『葵は、今どう思ってる?』
「どうって?」
『俺たちのこと』
葵は窓の外を見る。
夜の街。
車のライト。
遠くに見えるマンションの明かり。
昨日までと何も変わらない景色。
なのに、自分の中では何かが変わり始めている。
「私……」
言葉を探す。
「悠真のこと、今でも大切だよ」
電話の向こうで、悠真が小さく息を吐いた。
『うん』
「海も楽しかった」
『うん』
「また一緒に行きたいって思った」
そこまで言って、葵は少しだけ笑った。
「でも、それと……これからどうするかは、別なのかもしれないって思ってる」
言ってしまった。
けれど、不思議と怖くなかった。
以前なら、こんな言葉を口にすることさえできなかった。
悠真も、しばらく黙っていた。
『俺も、同じこと考えてた』
「……そっか」
『葵を嫌いになったわけじゃない』
「うん」
『今でも好きだと思う』
葵は目を閉じた。
胸が痛い。
でも、その痛みから逃げたいとは思わなかった。
『だから、余計に分からなくなってる』
悠真の声が少し揺れる。
『好きなのに、このままでいいのかなって』
葵は何も言えなかった。
それは、自分も同じだったから。
好き。
大切。
会えば嬉しい。
一緒にいると楽しい。
それでも、未来を同じ形で描けるとは限らない。
「悠真」
『うん』
「今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないかな」
電話の向こうが静かになる。
「私も、ちゃんと考えたい」
『……うん』
「悠真も考えて」
『分かった』
それだけだった。
電話は、しばらくして終わった。
通話時間は、二十分ほど。
けれど、葵にはもっと長く感じられた。
スマートフォンをテーブルに置く。
静かな部屋。
時計の音だけが聞こえる。
葵はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けた。
夕食を作る。
いつもと同じ夜。
でも、心の中には一つの問いが残っている。
私は、悠真とこれからも一緒にいたいのだろうか。
それとも。
悠真との四年間を大切にしたまま、別の道を選びたいのだろうか。
答えはまだ出ない。
ただ一つ分かっていることがある。
もう、見ないふりはしない。
仕事を理由に。
忙しさを理由に。
「いつか」を理由に。
大切なことを後回しにはしない。
葵は包丁を置き、窓の外を見た。
夜空には、細い月が浮かんでいた。
あの日、海で見た空とは違う。
それでも空は、どこかでつながっている。
悠真も今、同じ空を見ているのだろうか。
そう思った。
そして初めて、葵は自分自身に問いかけた。
──私は、どうしたい?
その答えを探す時間が、始まった。



