火曜日。
葵は、朝から少しだけ機嫌がよかった。
理由は、自分でも分かっている。
土曜日に、悠真と海へ行く。
それだけだった。
仕事へ向かう電車の中で、葵は窓の外を眺めながら、週末のことを考えていた。
どの海へ行こう。
何時に待ち合わせよう。
帰りにどこかで食事をしてもいい。
そんなことを考えている自分が、少し可笑しかった。
以前なら、もっと大きな未来を考えていた。
結婚したら。
一緒に暮らしたら。
子どもができたら。
そんな未来を当たり前のように想像していた。
今は違う。
土曜日の予定を考えている。
それだけなのに、心が少し軽かった。
会社に着くと、すぐに仕事が始まった。
午前中は新しい案件の打ち合わせ。
午後は企画書の修正。
気づけば、時計は夕方を指していた。
「高橋さん、今日このあと残る?」
上司から声をかけられる。
葵はパソコンの画面を見る。
まだ終わっていない仕事がある。
以前なら、迷わず頷いていた。
「はい。やります」
そう答えてから、葵は一度考えた。
今日は火曜日。
急ぎの仕事ではない。
「……すみません。今日は明日に回してもいいですか?」
上司が少し驚いた顔をする。
「珍しいね」
「そうですか?」
「うん。高橋さん、いつも自分で抱え込むから」
葵は苦笑した。
「最近、少しだけ考え方が変わったんです」
「へえ」
それ以上、説明はしなかった。
定時を少し過ぎたところで、葵は会社を出た。
駅へ向かう途中、スマートフォンを見る。
悠真からメッセージが届いていた。
『土曜日、朝から行く?』
葵はすぐに返信する。
『うん。せっかくだから朝から行きたい』
『じゃあ、十時くらい?』
『いいよ』
そこで一度、会話が途切れる。
以前なら、ここから別の話題を探していた。
今日は、それをしなかった。
メッセージが途切れたことを、寂しいとは思わなかった。
必要なことを話した。
それでいい。
そう思える自分が、少し不思議だった。
家に帰る。
夕食を作りながら、葵は冷蔵庫を開けた。
以前なら、悠真が好きなものを自然と選んでいた。
ビール。
サラダ。
肉料理。
二人で食べることを前提に、買い物をしていた。
今は一人分。
けれど、そのことにも少しずつ慣れてきた。
夕食を食べ終えたあと、葵はソファに座った。
テレビをつける。
けれど、あまり内容が頭に入らない。
ふと、悠真との昔の会話を思い出した。
『海に行きたいね』
『行こうよ』
『いつ?』
『いつか』
あの頃は、本当にいつでも行けると思っていた。
だから、急ぐ必要なんてないと思っていた。
けれど、「いつか」は自分から迎えに行かなければ、永遠に来ないこともある。
葵はスマートフォンを手に取った。
写真フォルダを開く。
四年前の写真。
悠真と初めて旅行したときのもの。
二人で笑っている。
葵はしばらくその写真を見つめた。
以前なら、胸が締めつけられていたかもしれない。
けれど今は、
「楽しそうだな」
と思った。
それだけだった。
その日の夜。
悠真のほうでも、葵との土曜日を考えていた。
実家の夕食を終え、父親の薬を確認する。
母親と少し話をして、自分の部屋へ戻る。
ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを見る。
葵とのメッセージ。
土曜日、十時。
海。
その文字を見て、悠真は小さく息を吐いた。
海へ行くのは、久しぶりだった。
そして、葵と会うのも久しぶりになる。
以前なら、会えることが嬉しくて仕方なかった。
今も嬉しい。
ただ、それだけではない。
会ったら、何を話すのだろう。
これから二人はどうなるのだろう。
そんな考えが、頭の片隅に浮かぶ。
けれど、悠真は答えを急がなかった。
土曜日になれば分かる。
今は、それでいい。
窓の外を見る。
こちらの街にも、夜の空が広がっている。
遠く離れた場所で、葵も同じ空を見ているのだろうか。
そんなことを考えてから、悠真は少し笑った。
昔なら、すぐに電話をかけていた。
今は、かけない。
けれど、それは気持ちがなくなったからではない。
相手の時間を尊重できるようになっただけだった。
火曜日が終わる。
水曜日。
木曜日。
金曜日。
そして土曜日。
二人が海へ行く日まで、あと四日。
それは長いようで、きっと短い。
葵はまだ知らない。
その一日が、二人にとってどんな意味を持つことになるのか。
ただ今は、
「土曜日になったら、海へ行こう」
その約束だけを胸に、眠りについた。
葵は、朝から少しだけ機嫌がよかった。
理由は、自分でも分かっている。
土曜日に、悠真と海へ行く。
それだけだった。
仕事へ向かう電車の中で、葵は窓の外を眺めながら、週末のことを考えていた。
どの海へ行こう。
何時に待ち合わせよう。
帰りにどこかで食事をしてもいい。
そんなことを考えている自分が、少し可笑しかった。
以前なら、もっと大きな未来を考えていた。
結婚したら。
一緒に暮らしたら。
子どもができたら。
そんな未来を当たり前のように想像していた。
今は違う。
土曜日の予定を考えている。
それだけなのに、心が少し軽かった。
会社に着くと、すぐに仕事が始まった。
午前中は新しい案件の打ち合わせ。
午後は企画書の修正。
気づけば、時計は夕方を指していた。
「高橋さん、今日このあと残る?」
上司から声をかけられる。
葵はパソコンの画面を見る。
まだ終わっていない仕事がある。
以前なら、迷わず頷いていた。
「はい。やります」
そう答えてから、葵は一度考えた。
今日は火曜日。
急ぎの仕事ではない。
「……すみません。今日は明日に回してもいいですか?」
上司が少し驚いた顔をする。
「珍しいね」
「そうですか?」
「うん。高橋さん、いつも自分で抱え込むから」
葵は苦笑した。
「最近、少しだけ考え方が変わったんです」
「へえ」
それ以上、説明はしなかった。
定時を少し過ぎたところで、葵は会社を出た。
駅へ向かう途中、スマートフォンを見る。
悠真からメッセージが届いていた。
『土曜日、朝から行く?』
葵はすぐに返信する。
『うん。せっかくだから朝から行きたい』
『じゃあ、十時くらい?』
『いいよ』
そこで一度、会話が途切れる。
以前なら、ここから別の話題を探していた。
今日は、それをしなかった。
メッセージが途切れたことを、寂しいとは思わなかった。
必要なことを話した。
それでいい。
そう思える自分が、少し不思議だった。
家に帰る。
夕食を作りながら、葵は冷蔵庫を開けた。
以前なら、悠真が好きなものを自然と選んでいた。
ビール。
サラダ。
肉料理。
二人で食べることを前提に、買い物をしていた。
今は一人分。
けれど、そのことにも少しずつ慣れてきた。
夕食を食べ終えたあと、葵はソファに座った。
テレビをつける。
けれど、あまり内容が頭に入らない。
ふと、悠真との昔の会話を思い出した。
『海に行きたいね』
『行こうよ』
『いつ?』
『いつか』
あの頃は、本当にいつでも行けると思っていた。
だから、急ぐ必要なんてないと思っていた。
けれど、「いつか」は自分から迎えに行かなければ、永遠に来ないこともある。
葵はスマートフォンを手に取った。
写真フォルダを開く。
四年前の写真。
悠真と初めて旅行したときのもの。
二人で笑っている。
葵はしばらくその写真を見つめた。
以前なら、胸が締めつけられていたかもしれない。
けれど今は、
「楽しそうだな」
と思った。
それだけだった。
その日の夜。
悠真のほうでも、葵との土曜日を考えていた。
実家の夕食を終え、父親の薬を確認する。
母親と少し話をして、自分の部屋へ戻る。
ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを見る。
葵とのメッセージ。
土曜日、十時。
海。
その文字を見て、悠真は小さく息を吐いた。
海へ行くのは、久しぶりだった。
そして、葵と会うのも久しぶりになる。
以前なら、会えることが嬉しくて仕方なかった。
今も嬉しい。
ただ、それだけではない。
会ったら、何を話すのだろう。
これから二人はどうなるのだろう。
そんな考えが、頭の片隅に浮かぶ。
けれど、悠真は答えを急がなかった。
土曜日になれば分かる。
今は、それでいい。
窓の外を見る。
こちらの街にも、夜の空が広がっている。
遠く離れた場所で、葵も同じ空を見ているのだろうか。
そんなことを考えてから、悠真は少し笑った。
昔なら、すぐに電話をかけていた。
今は、かけない。
けれど、それは気持ちがなくなったからではない。
相手の時間を尊重できるようになっただけだった。
火曜日が終わる。
水曜日。
木曜日。
金曜日。
そして土曜日。
二人が海へ行く日まで、あと四日。
それは長いようで、きっと短い。
葵はまだ知らない。
その一日が、二人にとってどんな意味を持つことになるのか。
ただ今は、
「土曜日になったら、海へ行こう」
その約束だけを胸に、眠りについた。



