冷たい人だと思っていた。けれど、患者へ向ける眼差しは、誰よりも優しかった。
凪は思わず将臣の横顔を見つめていた。
「待たせた。早々から悪かったな」
「いえっ」
凪は大袈裟に首を振ってしまう。
(謝る人なんだ……)
「ここが安藤の家だ」
背を向けた将臣の後に続いた。
門をくぐると、広い敷地が目に飛び込む。人の気配こそあるものの、物音は少ない。麒麟堂のように客の出入りや薬を挽く音が絶えない家とは違い、張りつめた静けさが辺りを包んでいた。
凪は緊張で喉が渇いてくる。
ギュギュと鳴る玉砂利をゆっくり進むと、正面には風格ある母屋。その少し奥には木々に囲まれた離れが建っていた。
「まずは両親を紹介する。ついて来なさい」
母屋の玄関口へと向かう将臣の後で、凪は小さく息を吐いて前を向いた。
母屋へ入ると、磨き込まれた廊下が真っすぐ奥まで伸びていた。黒く艶を帯びた柱は一本一本が太く、天井は高い。玄関の壁には軍帽が掛けられている。凪はそれをじっと見る。それに将臣が気がつく。
「父も同じく軍人だ」
「……そうなのですね」
(私ったら何も知らずに嫁いできてしまったのね)
不安が押し寄せ、凪は身体を硬くする。
「おかえりなさいませ」
無表情な中年の女中が足音をさせずにやってくる。纏う空気がやけに冷たく感じる。
「ああ」
将臣は短く答えると、凪に言う。
「薬研はここで預けなさい」
「はい……では、お願いします」
凪がゆっくりと薬研を差し出すが、女中は手を出さない。
違和感を覚える間があり、将臣が眉を寄せる表情を見せると、女中はようやく薬研を受け取った。
(私、うまく喋ることができなかったかな……)
凪は、居心地悪く、ただじっと立っていることしかできなかった。
屋敷の廊下を抜けて、客間の襖の前で足を止めた。
(ここに、ご両親がいる。今度は、きちんと目を合わせて挨拶をしないと)
凪は無意識に袖を握っていた。早く鼓動する胸元に手をそっと当てる。だが、凪は妙な違和感にも気がついていた。
人がいるはずのこの屋敷からは、驚くほど物音がなかった。
「将臣です。失礼します」
すっと襖を滑らせると、二十畳ほどの広い客間が視界に広がる。床の間には季節の掛け軸と白磁の花入れが一つ置かれているだけだった。
中央に磨き抜かれた欅の座卓があり、囲む座布団は少しも乱れていない。
上座に腕を組み硬い表情の男性、その横には色白で少しふくよかな女性が座っていた。



