中央街に広大な敷地を構えるエスタラン侯爵邸は、街中にあるにも関わらず、荘厳な存在感を際立たせていた。
過剰な装飾は無いが、重厚さを感じさせる門柱とアーチが、建物の格を静かに語っている。
高く伸びた大きな窓という窓からは、オレンジ色の灯りが溢れかえり、
ガラス越しに浮かぶシャンデリアが、平民には手の届かない世界だと知らしめるように輝いていた。
その、格調高いエスタラン侯爵邸の前――石畳の私道を、馬車が一台、滑り込んでくる。
御者が手綱を引くと、馬は従順に足を止め、黒塗りの車体に、暖色の灯りが鈍く反射する。
足音を立てずにステップを降りたのは、黒い狼を彷彿とさせる、一人の紳士――
―――――――
――ヴァルグレイ・ゼオファルドは、先んじて馬車を降りた。
身に纏うのはブルーのゴシックな官制服ではなく、漆黒のタキシード。
格調高く仕立ての良いジャケットとベストは、カジュアルさなど欠片も感じられない。
普段と違う装いながら、彼はどこか着慣れた様子だった。
着丈はやや長め。 銀色に輝くシャツのボタンが清潔感と品格を示している。
手袋は、いつもの白ではなく、髪と同系色の銀灰。
今は外され、胸ポケットの飾りとなっていた。
大人の男性らしい落ち着きと力強さを備えた手が、馬車の中の人物へと伸ばされる――
――馬車の奥から姿を現したのは、苺茶色の髪を華やかに結い上げたハルネだった。
デコルテを上品に見せる、シャンパンベージュのエンパイアドレス。
胸下で切り替えられたハイウエストのシルエットは、ハルネの柔らかなラインを優雅に包む。
それは、いつものふっくらとした彼女に、淑やかな華やぎを加えていた。
通常のドレスの輪郭よりも、ボリュームがある。
それは身体でなく、布の量。
ドレープの目立つ布とオーガンジーが重ねて縫われ、光を受けるたび、やわらかい艶と奥行きを生んでいる。
揺れる布たちは、丸みを帯びた曲線を上品に見せるために配置されていた。
服を人に合わせる。
それをまさしく形にしてしまう、針子の腕前が表れていた。
ハルネはヴァルグレイの手に自らの手をそっと添え、ゆっくりとステップを降りる。
サフラン香房で見せる機敏さを、微塵も感じさせない、慎み深い所作として見えた。
ステップを降りる度、耳元で揺れる琥珀が、光を拾って視線を奪う。
足を下ろす度に揺れるオーガンジーが、まるで透明な花びらのように踊った。
コツ、コツと、安定感のある低めのヒールの音が、辺りに響く。
履き慣れないチャンキーヒールのため、ハルネの視線は足元に釘付けだった。
一方のヴァルグレイは、ハルネの横顔に釘付けだった。
ハーフアップに上げた後ろ髪から覗くうなじ。
控えめローズベージュのリップに、血色を浮かすチーク。
素直で明るい、いつもの彼女とは違う艶やかな姿。
彼の口から、ぽつりと一言が漏れた。
「……キレイだ」
ヴァルグレイは、そのまま何事もなかったようにハルネを見つめていた。
反応したのはハルネだった。
パッチリしたタレ目をさらに大きく見開き、ぐりん、とヴァルグレイの方へと顔を向ける。
(今、なんて言ったの!?)
……………
「……とても、似合っている」
「ありがと。 オジさまもとってもステキよ」
スマートに応えられたけれど、さっきの「キレイだ」はやばい不意打ちだった。
めちゃくちゃびっくりした。
逆に今の「似合っている」は、ちゃんと褒めてくれた言葉。
どちらもとっても嬉しくて、騒がしい胸の鼓動を抑えるのに必死だった。
オジさまが右腕を軽く差し出す。
自然な動作のエスコート。
あたしはそれに応じるように、左手を添えて、その腕に軽く絡ませる。
オジさまの漆黒のタキシードと、あたしの薄いベージュのドレスのコントラストがとても綺麗だった。
そして、ふんわりと香るアンバー系の香水の香り。
密着する腕と身体に、胸の高鳴りがさらに加速する。
いやいや……「任務」だから!
「……ハルネ嬢、キミの仕事は、私と共に入場し、侯爵に挨拶をする所までだ。 あとは私の仕事となる。 気負う必要は無い」
「大丈夫よオジさま。 ちゃんと覚悟はしてきたもの」
女に二言は無いのよ!
「……本当にすまない。 キミに大変な手間を取らせている事は承知しているが……」
「だから大丈夫よオジさま。 あたし、感謝もしてるし、正直ワクワクもしてるの!」
だってさ!
こんな事、普通に暮らしてたんじゃ体験できない事だもん!
こんなあたしでも、とっても綺麗に魅せてくれるドレスも用意してくれて……
そして、なによりも、エスコートしてくれるオジさまの隣に立てるのが……
こんなにも嬉しい!
「さ、行きましょオジさま! いざ、戦場へ!」
「……ふっ、戦場、では無いが。 行くとしよう」
あたしのちょっとした冗談に、表情を柔らかくさせたオジさま。
大きく重厚な扉を、門番の衛兵が二人がかりで開ける。
そして、あたし達は、エスタラン侯爵邸の舞踏会へと、入場した。
―――――――
重厚な音を響かせながら、開け放たれた扉から、音と光が一斉に溢れ出した。
まず目に飛び込んできたのは、幾重にも吊るされた黄金のシャンデリア。
魔石ランプから漏れる暖かな光が、ガラスにキラキラと反射し、舞踏会場全体に降り注ぐ。
高い天井、そして壁面には金糸を施した深紅の装飾布。
おそらく刺繍されているのは侯爵家の紋章だろう。
大きな柱はあるが、上手く空間を使い、開放的な広間に見せている。
楽団の演奏する弦の音が、大きくも軽やかにその空間を彩っていた。
辺りを見渡す。
色とりどりのドレスの花が咲き乱れ、それを囲む、蝶のように着飾った紳士たち。
派手さが品を落としそうなモノだが、場の格調高さと各々の洗練された所作が、上品さを巧みに醸し出していた。
『場違い』
そんな言葉が脳裏をよぎる。
ここは日常とはまるで別の世界だ。
香房の賑やかな声も、商店街の喧騒も、それら全てが遠く切り離された空間。
気圧され、身体が勝手に後ろに下がろうとすると、腕に抵抗を感じた。
見上げると、オジさまはこちらをじっと見ていた。
いつもの柔らかい表情でなく、仕事中に見せる隙のない顔。
ふと、何かの合図のように、オジさまは、左手の指で自身の左眼の眼帯を指差した。
?? 眼帯?……魔眼…………エモパレ!
即座に瞳に意識を向け、エモパレをアクティブにする。
――色とりどりの感情色。疚しさ、楽しさ、訝しみ、下心、葛藤や苛立ち……
いつも見ている感情色を視たせいか、心が、少しだけ落ち着いた。
「……普段行っている事をすれば、自然と心は落ち着くモノだ」
オジさまの言う通り、まだ多少の緊張はあるものの、さきほどより心が凪いでいた。
……なんだか、あたしよりあたしを理解してくれてる感じがする。
その事実に気付くと顔が熱くなった。
う~、恥ずかしいような嬉しいような?
よく分からないテンションになって、目をぎゅっと瞑る。
これでエモパレの感度もリセット。 うん。
目を開け、「もう大丈夫」とオジさまの方を見る。
オジさまは、会場内の様子を窺っていたが、こちらに気が付き、視線が向く。
振り向きざまに、琥珀のピアスが揺れたのが、やけに目に付いた。
……同じ、だ。
そう、同じピアスを、あたしも身に着けている。
耳を意識して、そっと顔を揺らす。
ふるふると揺れる琥珀の感触が返ってくる。
落ち着いたはずのあたしの心は、再びいっぱいになってしまった。
それを誤魔化すよう、絡ませていたオジさまの腕にぎゅうーっとしがみついた。
胸を思い切り押し付けてしまっている気がするが、あたしの内心はそれどころではない。
「…………」
あたしにされるがまま、オジさまはじっと黙っていた。
なんだか、あたしを労わる気持ちが伝わってきて、安心をくれた。
「……もう、大丈夫か?」
「……うん」
幸い、今のやりとりが、周りに気にされた様子は無い。
何人かは、入り口にいるこちらを強い好奇で伺ってはいるけれども。
「……いいか。 平常心でいるのは大切な事だが、ここではあまり隙を見せすぎるのも良くない。 付け込まれる一因となる」
「っ……そうよね。 ごめんなさいオジさま!」
「……いや、構わない。 だが、その……」
「あっ、そっか!」
オジさまの注意に、馬車での打ち合わせを思い出す。
そうだ、もう入場した時から、あたし達は夫婦(仮)なんだ。
あくまでお仕事のお手伝い。
まずは主催の侯爵さまへの挨拶。 そこまでは、ちゃんとやり切らなきゃ。
あたしは気合を入れ直そうと、オジさまの腕から一度手を離し、両手でぺちぺちと頬を叩く。
場所が場所だからあまり強くは叩けないけど、気持ちは切り替わった。
今からあたし達は、夫婦(仮)……
「…………」
オジさまの目は優しい。
いつかまた、その眼帯の下の左眼で、あたしを見てほしい。
あたしにしては前向きな気持ち。
きっと、このステキなドレスのおかげだね。
勇気とキレイをありがとう。
頬を叩くという一連の奇行を見届けていたオジさま。
再び、紳士なサマで、右手を軽く差し出してくれる。
あたしも淑女を意識して、そっと左手を差し出して、ふんわり腕を絡ませる。
「さあ、行こう。 ……ハルネ」
「はい。 ……ヴァルさま」


