【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



 中央街に広大な敷地を構えるエスタラン侯爵邸は、街中にあるにも関わらず、荘厳な存在感を際立たせていた。

 過剰な装飾は無いが、重厚さを感じさせる門柱とアーチが、建物の格を静かに語っている。

 高く伸びた大きな窓という窓からは、オレンジ色の灯りが溢れかえり、
 ガラス越しに浮かぶシャンデリアが、平民には手の届かない世界だと知らしめるように輝いていた。


 その、格調高いエスタラン侯爵邸の前――石畳の私道を、馬車が一台、滑り込んでくる。


 御者が手綱を引くと、馬は従順に足を止め、黒塗りの車体に、暖色の灯りが鈍く反射する。

 足音を立てずにステップを降りたのは、黒い狼を彷彿とさせる、一人の紳士――



―――――――



――ヴァルグレイ・ゼオファルドは、先んじて馬車を降りた。

 身に纏うのはブルーのゴシックな官制服ではなく、漆黒のタキシード。

 格調高く仕立ての良いジャケットとベストは、カジュアルさなど欠片も感じられない。
 普段と違う装いながら、彼はどこか着慣れた様子だった。

 着丈はやや長め。 銀色に輝くシャツのボタンが清潔感と品格を示している。

 手袋は、いつもの白ではなく、髪と同系色の銀灰。
 今は外され、胸ポケットの飾りとなっていた。

 大人の男性らしい落ち着きと力強さを備えた手が、馬車の中の人物へと伸ばされる――


――馬車の奥から姿を現したのは、苺茶色の髪を華やかに結い上げたハルネだった。


 デコルテを上品に見せる、シャンパンベージュのエンパイアドレス。

 胸下で切り替えられたハイウエストのシルエットは、ハルネの柔らかなラインを優雅に包む。
 それは、いつものふっくらとした彼女に、淑やかな華やぎを加えていた。

 通常のドレスの輪郭よりも、ボリュームがある。

 それは身体でなく、布の量。
 ドレープの目立つ布とオーガンジーが重ねて縫われ、光を受けるたび、やわらかい艶と奥行きを生んでいる。

 揺れる布たちは、丸みを帯びた曲線を上品に見せるために配置されていた。

 服を人に合わせる。
 それをまさしく形にしてしまう、針子の腕前が表れていた。


 ハルネはヴァルグレイの手に自らの手をそっと添え、ゆっくりとステップを降りる。

 サフラン香房で見せる機敏さを、微塵も感じさせない、慎み深い所作として見えた。

 ステップを降りる度、耳元で揺れる琥珀が、光を拾って視線を奪う。
 足を下ろす度に揺れるオーガンジーが、まるで透明な花びらのように踊った。

 コツ、コツと、安定感のある低めのヒールの音が、辺りに響く。

 履き慣れないチャンキーヒールのため、ハルネの視線は足元に釘付けだった。

 一方のヴァルグレイは、ハルネの横顔に釘付けだった。

 ハーフアップに上げた後ろ髪から覗くうなじ。
 控えめローズベージュのリップに、血色を浮かすチーク。
 素直で明るい、いつもの彼女とは違う艶やかな姿。

 彼の口から、ぽつりと一言が漏れた。


「……キレイだ」
 

 ヴァルグレイは、そのまま何事もなかったようにハルネを見つめていた。

 反応したのはハルネだった。

 パッチリしたタレ目をさらに大きく見開き、ぐりん、とヴァルグレイの方へと顔を向ける。


(今、なんて言ったの!?)


……………


「……とても、似合っている」
「ありがと。 オジさまもとってもステキよ」

 スマートに応えられたけれど、さっきの「キレイだ」はやばい不意打ちだった。

 めちゃくちゃびっくりした。

 逆に今の「似合っている」は、ちゃんと褒めてくれた言葉。

 どちらもとっても嬉しくて、騒がしい胸の鼓動を抑えるのに必死だった。

 オジさまが右腕を軽く差し出す。
 自然な動作のエスコート。

 あたしはそれに応じるように、左手を添えて、その腕に軽く絡ませる。

 オジさまの漆黒のタキシードと、あたしの薄いベージュのドレスのコントラストがとても綺麗だった。

 そして、ふんわりと香るアンバー系の香水の香り。
 密着する腕と身体に、胸の高鳴りがさらに加速する。

 いやいや……「任務」だから!

「……ハルネ嬢、キミの仕事は、私と共に入場し、侯爵に挨拶をする所までだ。 あとは私の仕事となる。 気負う必要は無い」
「大丈夫よオジさま。 ちゃんと覚悟はしてきたもの」

 女に二言は無いのよ!

「……本当にすまない。 キミに大変な手間を取らせている事は承知しているが……」
「だから大丈夫よオジさま。 あたし、感謝もしてるし、正直ワクワクもしてるの!」

 だってさ!
 こんな事、普通に暮らしてたんじゃ体験できない事だもん!

 こんなあたしでも、とっても綺麗に魅せてくれるドレスも用意してくれて……

 そして、なによりも、エスコートしてくれるオジさまの隣に立てるのが……


 こんなにも嬉しい!


「さ、行きましょオジさま! いざ、戦場へ!」
「……ふっ、戦場、では無いが。 行くとしよう」

 あたしのちょっとした冗談に、表情を柔らかくさせたオジさま。

 大きく重厚な扉を、門番の衛兵が二人がかりで開ける。

 そして、あたし達は、エスタラン侯爵邸の舞踏会へと、入場した。



―――――――



 重厚な音を響かせながら、開け放たれた扉から、音と光が一斉に溢れ出した。

 まず目に飛び込んできたのは、幾重にも吊るされた黄金のシャンデリア。
 魔石ランプから漏れる暖かな光が、ガラスにキラキラと反射し、舞踏会場全体に降り注ぐ。

 高い天井、そして壁面には金糸を施した深紅の装飾布。
 おそらく刺繍されているのは侯爵家の紋章だろう。

 大きな柱はあるが、上手く空間を使い、開放的な広間に見せている。

 楽団の演奏する弦の音が、大きくも軽やかにその空間を彩っていた。

 辺りを見渡す。

 色とりどりのドレスの花が咲き乱れ、それを囲む、蝶のように着飾った紳士たち。

 派手さが品を落としそうなモノだが、場の格調高さと各々の洗練された所作が、上品さを巧みに醸し出していた。

 『場違い』

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 ここは日常とはまるで別の世界だ。

 香房の賑やかな声も、商店街の喧騒も、それら全てが遠く切り離された空間。
 気圧され、身体が勝手に後ろに下がろうとすると、腕に抵抗を感じた。

 見上げると、オジさまはこちらをじっと見ていた。

 いつもの柔らかい表情でなく、仕事中に見せる隙のない顔。

 ふと、何かの合図のように、オジさまは、左手の指で自身の左眼の眼帯を指差した。

 ?? 眼帯?……魔眼…………エモパレ!

 即座に瞳に意識を向け、エモパレをアクティブにする。

――色とりどりの感情色。疚しさ、楽しさ、訝しみ、下心、葛藤や苛立ち……

 いつも見ている感情色を視たせいか、心が、少しだけ落ち着いた。


「……普段行っている事をすれば、自然と心は落ち着くモノだ」


 オジさまの言う通り、まだ多少の緊張はあるものの、さきほどより心が凪いでいた。


 ……なんだか、あたしよりあたしを理解してくれてる感じがする。


 その事実に気付くと顔が熱くなった。
 う~、恥ずかしいような嬉しいような?

 よく分からないテンションになって、目をぎゅっと瞑る。
 これでエモパレの感度もリセット。 うん。

 目を開け、「もう大丈夫」とオジさまの方を見る。

 オジさまは、会場内の様子を窺っていたが、こちらに気が付き、視線が向く。
 振り向きざまに、琥珀のピアスが揺れたのが、やけに目に付いた。

 ……同じ、だ。

 そう、同じピアスを、あたしも身に着けている。

 耳を意識して、そっと顔を揺らす。

 ふるふると揺れる琥珀の感触が返ってくる。

 落ち着いたはずのあたしの心は、再びいっぱいになってしまった。

 それを誤魔化すよう、絡ませていたオジさまの腕にぎゅうーっとしがみついた。
 胸を思い切り押し付けてしまっている気がするが、あたしの内心はそれどころではない。

「…………」

 あたしにされるがまま、オジさまはじっと黙っていた。
 なんだか、あたしを労わる気持ちが伝わってきて、安心をくれた。

「……もう、大丈夫か?」
「……うん」

 幸い、今のやりとりが、周りに気にされた様子は無い。
 何人かは、入り口にいるこちらを強い好奇で伺ってはいるけれども。

「……いいか。 平常心でいるのは大切な事だが、ここではあまり隙を見せすぎるのも良くない。 付け込まれる一因となる」
「っ……そうよね。 ごめんなさいオジさま!」
「……いや、構わない。 だが、その……」
「あっ、そっか!」

 オジさまの注意に、馬車での打ち合わせを思い出す。

 そうだ、もう入場した時から、あたし達は夫婦(仮)なんだ。

 あくまでお仕事のお手伝い。

 まずは主催の侯爵さまへの挨拶。 そこまでは、ちゃんとやり切らなきゃ。

 あたしは気合を入れ直そうと、オジさまの腕から一度手を離し、両手でぺちぺちと頬を叩く。
 場所が場所だからあまり強くは叩けないけど、気持ちは切り替わった。

 今からあたし達は、夫婦(仮)……

「…………」

 オジさまの目は優しい。
 いつかまた、その眼帯の下の左眼で、あたしを見てほしい。

 あたしにしては前向きな気持ち。
 きっと、このステキなドレスのおかげだね。

 勇気とキレイをありがとう。

 頬を叩くという一連の奇行を見届けていたオジさま。

 再び、紳士なサマで、右手を軽く差し出してくれる。
 あたしも淑女を意識して、そっと左手を差し出して、ふんわり腕を絡ませる。


「さあ、行こう。 ……ハルネ」

「はい。 ……ヴァルさま」