夜も深まった南街商店街の外れ。
休業中のサフラン香房の店内照明は落とされている。
家屋内のリビング。
シャリエナは一人、可愛らしい手帳にせっせと何かを書き込んでいた。
楕円の中に、ハートやクローバー、デフォルメされた鳥や猫などが描かれている。
――「美容方面に力を入れる」
新店主ハルネの方針を聞いたシャリエナは考えた。
「自分の考えたネイルチップも売り物に出来るかも!」
アイデアとワクワクを、思いつくままに可愛いモノへと昇華させていた。
細かな作業に目が疲れ、手元にあるオレンジティーを飲もうと手に取った。
「たんだいまー!」
心なしかご機嫌な、姉の帰宅の声がリビングにまで届いた。
―――――――
「お姉ちゃんお帰りー。 今日は帰ってこないかと思った」
「そんなワケないでしょ。 あたしを何だと思ってるの?」
「えー? だってどう見たってお姉ちゃんとヴァルグレイさんって……」
「あたしとオジさまが……何?」
「……んー、言わない方がいいかな。 何でもない」
「? そう?」
帰宅早々、よく分からない事を言ってくるシャリエナ。
そうそう、それよりも……
「ほら、これ、お土産のイチゴのタルト。 アンタ、イチゴ好きでしょ? 一緒に食べよ?」
「やたっ! お姉ちゃんが行ったお店のでしょ? お貴族さまの味! 楽しみ!」
「品の無い言い方はやめて」
「いいじゃん、ホントの事なんだし。 お茶入れ直してくるねー」
シャリエナは、機嫌よく、ぴゅいーっと両手を広げながら台所に向かった。
あたしも、着替えてきちゃおう。
……………
「おいしー! なにこれ!? 見た目もキレーなのにクリームもふわふわ!」
「あぁ、美味しい……う~~、こんな事ならスイーツももっと頼めばよかったぁ」
たくさんの大きなイチゴが圧倒的な見栄えを誇る。
サクサクの程よいタルト生地に、口どけのいい濃厚な生クリーム。
これは著名なグルメ評論家のハルネちゃんさんも、10.0点を出さざるを得ない。
「余った一つ、わたしが貰うからね! どうせ今日もお母さん帰ってこないし、お姉ちゃんはいっぱい食べてきたんでしょ!」
「そんな独占欲丸出しにしなくてもあげるわよ」
イチゴが好きなシャリエナも、これだけ美味しいイチゴとはそうそう出会えまい。
フハハ、存分に味わうがいい。
姉妹でペロリと平らげて、お茶を一口で一休み。
そして、今日あった事を話し合う。
「お姉ちゃ~ん、やっぱり暇だよぅ。 早くお店開けたいよぅ」
「あと数日の辛抱よ。 我慢しよう」
シャリエナは、今日はネイルチップのデザインをしてたみたい。
えらい。 とてもえらい。
この子は、自分で仕事を見つけられる子だ。
あたしも、新しいお店の事、もっとちゃんと考えなきゃなぁ。
「お姉ちゃんはどうだったの? 例のレストラン。 なんて言ったっけ? ペロリンチョ?」
「”ペルディーノ”よっ! すごかったよ。 味も、雰囲気も」
「いいなぁ。 わたしも行きたかったなぁ」
「シャリエナも立派な関係者なんだし、オジさまにお願いしましょ。 今度は一緒に行こうね」
オジさまとまた二人で行きたい気持ちはある。
でも、シャリエナにもあのステーキやパンを食べさせたい。 ぜひとも!
「わーい! やったー! 何食べようかなー? やっぱりステーキかなー」
「めっちゃ美味しかったよ。 焦がしバターの牛フィレステーキ! おかわりしちゃったもん!」
「お姉ちゃん……せっかくのデートなのに、いつもみたいに食べちゃったの?」
「うぐっ。 ……だって、オジさまが、あたしがいっぱい食べてる姿が見たいって……」
ご飯を勧められたんなら遠慮しちゃダメだ。
遠慮しないのがあたしの正義だ。
「それ、社交辞令とは思わなかったの?」
「いやだって、オジさまが「私のためにいっぱい食べてくれ」って……」
「うーん、確かにお姉ちゃんが美味しそうに食べてる姿って、キモチイイしなー。 それに……」
「それに……なにさ?」
「……ん~、これも言わない方がいいか。 なんでもない」
どうも今日のシャリエナは歯切れが悪い。
――感情色を視ると、グラスグリーン……なんだっけ、これ?
「ねぇ、お姉ちゃんはさ」
「うん?」
シャリエナが珍しくちょっと真面目な顔で切り出してきた。
感情色はグリーンのまま変わらない。
何の色だったっけ? 最近似たような色を視たような?
そうだ。 ……たしか、リオーネさんの、慈しみ……
「お姉ちゃんはさ、ヴァルグレイさんの事、愛してるんでしょ?」
「な! な、な、何を、言うのさ!」
「どうなの?」
「……愛、とかは分かんない。 でも好き、よ」
唐突な問いかけに思わずドギマギしてしまった。
まぁ、シャリエナには何もかも相談済みでオジさまへの気持ちもバレてるしな~。
でも、どういうつもりだろう?
「正直ね、お姉ちゃんが普通に帰ってきてガッカリしちゃったの」
「なによ、ガッカリって」
「わたしね、お姉ちゃんとヴァルグレイさんがくっつけばいいなって思ってる」
「…………」
「だってあんなの見ちゃったらさー、二人はもう、結ばれるしかない運命だって思っちゃうの」
「……あたしじゃ、オジさまには似合わないよ」
自然と口から出てしまったのは、否定の言葉。
「うん、やっぱりね。 そう言うと思った」
「……なにがよ」
「わたしが「二人はお似合い」って言っても、お姉ちゃんは否定しちゃうだろうなって」
「…………」
脱帽のさすエナだ。
あたしをよく分かってる。
「お姉ちゃん、前に言ってたじゃん。 口にした言葉って、どんな言葉でも気持ちが引っ張られちゃうから気を付けなね、って」
……そんな事、言ったかなぁ?
「だから、本当は言わないでおこうかと思ったけど、お姉ちゃんに分かって欲しかったから」
「…………」
シャリエナの言いたい事は分かった。
あたしに否定の言葉を口にしてほしくなくて、言い淀んでいたんだろう。
言いたい事は全部素直に言うシャリエナにしては、珍しいとは思ったけど……
「シャリエナの気持ちは嬉しいけどさ」
「うん」
「まだ、分かんなくて……」
「うん、わかるよ、お姉ちゃん。 でもね、お姉ちゃんも心配だけど、ヴァルグレイさんも可哀想で……」
オジさま……
「……うん」
「このまま、二人に進展が無いのはちょっとなー、って」
「……あのね」
「うん?」
「実はね、進展あったの。 少し……」
「え!? そうなの!?」
どっちにせよ、シャリエナに相談する気満々だった話をする。
アレは、ご飯も食べ終わって、事件の話をしてた時の事……
―――――――
「…………私の、妻になってくれないか?」
柔らかい照明に照らされたテーブル。
二人の前に置かれた飲みさしのティーカップが、何かの始まりを告げるように、小さく水面を揺らした。
「……え゛?」
聞き間違い、だよね?
「妻!? 妻って言ったの!?」
「……いや、すまない。 言葉の選別を間違えたようだ」
だ、だよね!?
妻って言ったら奥さんよ?
そんなワケ……
「……私の、パートナー、になってくれないか?」
「……え゛っ!!?」
パ、パートナーって言ったら、連れ合いの事でしょ?
……ってことは、やっぱり!?
「……む、すまない、これも…………」
オジさまはなんだか難しい顔をしている。
どうやら言葉通りの意味ではなさそうだ。
「……ハルネ嬢、少し、歩かないか?」
―――――――
オジさまの提案で、あたし達はペルディーノを後にした。
きっちりとお土産を頂いた後、大通りの噴水広場までやってきた。
街灯の明かりが、明るく道と噴水を照らしている。
ここは富裕層も多い地区だから、設備や景観はとても整っている。
今は、ちょうど人の気配も少なかった。
噴水の近くのベンチに、腰を下ろす。
あたしからちょうど半人分離れて、オジさまも腰を下ろした。
この距離が、今のあたし達の関係をよく表していた。
「……寒くないか?」
「ううん、大丈夫だよ」
オジさまの気遣いが嬉しい。
……あの夜を超えて、そういったオジさまの気遣いがハッキリと感じられるようになっていた。
「……さきほどは誤解を招く言い方だった」
「うん……」
「結論から言おう。 私の”パートナー役”を務めてほしい」
「パートナー、役?」
プロポーズなワケは無いとは思っていたが、パートナー役?
いったいどういう事だろう?
「……順を追おう。 アルテノット男爵は社交性が低いと言っただろう? ところが明日、とある夜会に夫妻で出席するという情報が入った」
「うん、それで?」
「……顔と人柄を確認する絶好のチャンスだが、パーティーの主催はエスタラン侯爵。 つまり、貴族しか入れない」
「貴族……」
「そうだ。 第二調査局内で爵位を持っているのは局長と私だけだ。 局長は今、別件でこの街を離れている」
なるほど。
つまりオジさましか堂々と潜入出来る人がいないのね。
「……招待状は都合が付くが、同伴パートナーはそうはいかない」
「そっか。 そのパートナー役を、あたしに?」
「……そうだ」
「なんであたしなの? 潜入とかなら調査局の女の人いるんじゃないの? 例えば……リ、リオーネさんとか」
オジさまとリオーネさんが並び立つ姿は、もう想像したくもない。
けれど、さすがにあたしは部外者過ぎる。
「…………リオーネではダメだ」
「え? なんで?」
リオーネさんは油断ならない人だが、信用は出来る人だ。
感情色もキレイだし、シゴデキなのは雰囲気で分かる。
「……とにかく、リオーネや他の女性ではダメなのだ。 ……ハルネ嬢」
正面を向いていたオジさまは、こちらに向きなおす。
ずっとオジさまの横顔を見ていたあたしと目が合った。
「……これは、キミだから。 キミにしか頼めない事なんだ」
「え、え!? な、なんでさ? あたしなんて……」
い、意味が分かんない。
なんであたし? そもそも平民だよ?
あたしにしか、って……
クセで感情色を視ようとするが、オジさまは今日も左眼の黒い眼帯がお似合いだ。
魔眼封じの眼帯がある限り、あたしにはオジさまの感情色を視る事は叶わない。
オジさまの右眼は、あたしをまっすぐ見つめていた。
「……ハルネ嬢、キミは事件を見届けたいのではないか?」
「そ、そりゃあ、そういう気持ちはあるけれど……」
でも、正直、もう全部調査局に任せようって気持ちもある。
「……本音を交えて話そう。 キミが一人でミルレン薬草店に向かった時、本当に肝が冷えた。 もうあのような思いはしたくない」
「う……その節は本当にオジさまにはご迷惑を……」
アレは本当に言い訳出来ない出来事だった。
何にも言えない。
「……その後、私のミスから、教会でキミは倒れてしまった」
「ぁう……その節も……」
「……あの時、あの瞬間。 私の人生において、アレほどの混乱を極めた事は無かった」
ギュウゥと、何かを握りこむ音が聞こえた。
オジさまの拳が、手袋が破れそうなほど強く握りしめた音だった。
「……あのような思いも、もう二度と御免だ」
「オジさま……」
目の前で人が倒れたらそりゃあショックだろうに。
本当に心配をかけてしまっていたんだと、今更ながら猛反省する。
「……だからキミが、この事件を見届けたいと思っているのなら」
「……うん」
「私の目の届く所で、私の手の届く所で、私の傍で……見届けてほしい」
「…………」
「……それが私の本音だ」
オジさまの真っ直ぐな誠意が伝わる。
感情色を読まなくても伝わる。
同時に、大事にされてるってことも伝わる。
とても嬉しい……けれど。
オジさまのその気持ちを、自分でもどう扱ったらいいか、まだ分からない。
本当はまっすぐ受け取りたい。
でも、足を踏み出す事がまだ、怖い。
「…………」
「……無論、キミがこの依頼を必ず受ける必要は無い。 時間はかかるが、他にも手立てはいくらでもある。 あくまで、キミの希望に沿いたい」
――「時間はかかるが」
その言葉が引っ掛かった。
オジさまは席を立ち、あたしの正面に回り、膝をついた。
その姿勢が、さっきの「妻」という言葉を思い出させて、心臓がトクンと音を立てた。
「……もう一度問う」
オジさまは、あたしの顔を真っすぐに見据えて……
「……私のパートナー役に、なってくれないか?」
そう、やさしく聞いてくれた。
怖い……
任せたい……
あたしなんかが……
パッと浮かんだそんな気持ちも、
琥珀色の瞳を見て、すぐに小さくなった。
オジさまの役に立てるチャンスを、逃したくない。
……うんっ!
そうだよ!
何を悩んでいるのさ、ハルネ!
何を怖がっているのさ、ハルネっ!
あたしがずぅっと思ってるのは……『オジさまの役に立ちたい!』って事だ!
ちょっとでも……少しでもオジさまの役に立てるなら!
あたしが力になれるのなら!
「やるよ! それ! あたし、オジさまのパートナーになる!」
あたしはベンチから勢いよく立ち上がって、声高らかに宣言した。
悩む事なんて無いんだった。
どうしたいか、だけを取れば、躊躇いなんて無かった。
オジさまの手助けになれるんだったら、なんだってやってやるんだから!
ふんすと鼻息荒く昂ぶるあたしを見て、オジさまは……
「……礼を言う。 キミがそう言ってくれるのなら、私もその意志に応えよう」
オジさまのその声には、どこか温かみが滲んでいた。
―――――――
「……って事があったのよ!」
「ふーん」
時を戻して、サフラン家リビング。
あたしは話の最後の感情に引っ張られて少し興奮気味だが、シャリエナは逆に少し冷めた表情で相槌を打った。
「……なによ。 テンション低いわね」
「ま、お姉ちゃん達にはお姉ちゃん達のペースがあるかー」
なんだか訳知り顔のシャリエナにイラっとしたが、この子はこれで賢い。
何か言って反論されるのもイヤなので、やめておいてやった。
「それにしても明日って急だね? また貴族の? 社交パーティー?」
「そう。 明日の夕方ごろにオジさまが迎えに来てくれるって」
「レストランとは全然違いそうだねー」
「そりゃそうよ。 社交パーティー……詳しくは聞いてないけど、たぶん舞踏会よ? 舞踏会!」
豪華絢爛のシャンデリアに、真っ赤でまっさらな絨毯。
どんなキラキラ空間なんだろうと、意味の無い夢想にふけるが……
……なんだか考えに穴があるような?
「ところでさ、お姉ちゃん」
「ん~? なにさ?」
考えの穴が気になって、シャリエナの呼びかけに、おざなりの返事を返してしまう。
なにが抜けてるのかなぁ?
招待状はオジさまが用意してくれそうだし、場所だって迎えに来てくれるらしいし……
「お姉ちゃん……舞踏会用のドレスなんて持ってるの?」
「……あっ」


